「空白を満たしなさい」終了後考察参考評論文です
- カテゴリ:テレビ
- 2022/08/09 00:53:42
放映終了後、自身の考えのまとめのため、かなり検索しましたが、かなり共鳴できたものをヤフーで見つけましたのでコピーしました。未だモヤモヤしてる方のご参考まで。
空白を満たしなさい 優良考察記事
『空白を満たしなさい』の最終話が7月30日に放送された。「人は、なぜ自殺をするのか?」という根源的な問いを「分人主義的なアプローチ」で向き合った平野啓一郎の重厚な同名原作小説(講談社文庫)が、映画『死刑にいたる病』、『僕の姉ちゃん』(テレビ東京)など、硬軟問わず優れた作品を多く手掛ける高田亮の脚本によって、見事に視聴者の心と、これからの人生に、深く沁み渡った全5話だった。
彼らの作りあげた物語と、柴田岳志、黛りんたろうによる演出。そして、柄本佑、鈴木杏、阿部サダヲという優れた演技巧者によって形づくられた本作は、全5話という限られた時間を使い、これでもかという濃密さで、土屋徹生(柄本佑)という一人の人間の心と、人生の、「空白」を満たしていった。
最終話である第5話の内容の濃さには殊更驚かされた。徹生が、千佳(鈴木杏)が抱えていた母親・薫(木野花)との問題と向き合うとともに、ぎこちなかった璃久(斉藤拓弥)との父子の関係性の深化を経て、愛がより深まっていくという、家族の物語。それと同時進行で、文字通り「消滅」していく復生者たちと、徹生にもいつ「それ」が起こるか分からないという状況がスリリングに描かれるという、若干のホラー要素が組み合わさって、泣かされたり、ゾクッとしたり、息を呑んだり、視聴者の感情の揺れはジェットコースターさながら、怒涛の展開だった。
そして、この怒涛の展開全てに確かなリアリティを持たせたのは、柄本佑の演技力に他ならない。また、俳優たちの力量への絶対的な信頼が見て取れる、抑制の効いた演出・脚本も功を奏したと言える。
例えば、この先そう長くは一緒にいられないだろう息子のこれからを案じ、本気で叱る時の父としての徹生の眼差し。母・恵子(風吹ジュン)と叶えることができないだろう未来の話をする時の、俯きながら頷く、息子としての徹生の表情。鈴木杏演じる千佳との涙と抱擁の場面の反復が示す、夫婦の成長。何より素晴らしかったのは、徹生が千佳の母と対峙する場面だ。千佳の母が、娘をどこまでも否定する言葉を並べ立てる時、黙ってそれを聞いていた徹生は、一瞬の間をおいて話しだした。このひと時の「空白」を、視聴者は埋めようと、想像せずにはいられない。あまりの理不尽な言葉に対して、激高して義母を罵るだろうか、怒りのあまり、静かに縁を切るだろうかと。彼はそのどれでもない反応を見せる。涙を拭った後、朗らかに笑い、義母が否定した分だけ、千佳の全てを肯定し、千佳にかけられた「心が汚い子供」の呪いを「千佳は本当にいい人間」という言葉で解いたのだった。さらに、千佳を生み育てた両親に心から感謝することで、彼女が抱いてきた、幼少期の彼女の魂は浄化され、真っ白なTシャツに身を包み、微笑んでいた。
徹生(柄本佑)が最終話で救った3人の人間
徹生は最終話において、3人の人間を救った。1人は、「自分の中の“暗いもの”を消そうとするんじゃなくて、見守っていけばいい」ことを理解したことで救われた、彼自身。2人目は、前述したように、徹生の「肯定」によって救われた千佳。そして、3人目は、徹生と千佳と視聴者を、全篇通して翻弄し続けた人物・佐伯(阿部サダヲ)だった。最終話の終盤、家で徹生からの手紙を読む佐伯に、光が射していた。ただそれだけで、「愛されないという孤独」の中で生きる彼の人生に、一筋の光が射したように見えた。それとは対照的に、ストップモーションの後の「空白」の白で終わりを迎えた徹生のエンディングは、片や「生」と、片や「死」を暗示するようで、切なさが残る。
また、第4話における、佐伯の「耳を削いだ、病んだゴッホを、他の全員が殺した」、つまり「欺瞞に満ちた正しさが人間を殺す」という言葉は、1人の人間の内部の戦いを示すだけでなく、社会全体を暗示しているように思う。「理解不能だから」というだけで「復生者ヘイト」を繰り広げる人々。自分には理解の及ばないことばかり口にする佐伯を毛嫌いする人々。徹生が自ら「正しくない考えを持つ自分」を殺しにかかったのは、彼個人の問題というだけでなく、「正しさ」ばかりを重視しすぎる、現代社会全体の生きづらさの問題でもある。
本作が何より優れていたのは、「自殺」という、「自分には関係ない」「暗い」と話題自体を忌避してしまいがちなテーマを、誰にとっても身近な「心の揺れ」を通して描いたことだ。それによって、徹生の身に起きたことは、他人事ではなく、誰でも起こり得ることなのだと伝えたのである。
徹生や千佳、佐伯だけでなく、普段口にしないだけで、恐らく、誰もが抱えているのではないか。心の奥に、何か暗いものを。誰にも知られたくないと思う、許しがたい無数の「嫌な自分」を。明るい方へ、明るい方へ向かうためには、闇を断たねばならない。常に「笑顔でいなければ」。「明るい自分でいなければ」。でも時折、そんな自分に、窒息しそうになる。その一方で、大切な人といる時の「笑顔の自分」もまた、本当で。
本作は、そんな誰もが持つ心の揺れを丁寧に紐解き、尚且つその全てを受け入れる、稀有な作品だった。佐伯が特に、過度に大きな変化(急速に善人になったり、前向きになったり)を強いられることなく、彼は彼のまま最後まで存在し続けたこともまた、大きな意味がある。「自分の中の“暗いもの”を消すのではなく、見守っていく」。徹生が出した答えは、そのまま、私たちの明日へと続いていく。
いかがしたでしょうか。
ではまた・・・。