Nicotto Town



7/10 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2022/07/10
キラキラ
集めた場所 個数
おしゃべり広場 5
ヒツジ学園 5

4択  「生き物係


キラキラ  「おしゃべり広場 キティの右側の柱

     「ヒツジ学園 建物の左側

4択 小学生の時に好きだった係は → 生き物係



黒板係ってあったのか?
黒板と、黒板消しをきれいにするのは日直の仕事の1つだったよー。

物質文明を拒否していた京都の小学校では黒板消しは日直が1階外に行って専用の棒でバンバン叩いてきれいにしたものだ。
引っ越しして奈良にきたら電動でぶいーーーんってチョーク粉を吸い取ってくれる機械がおいてあってカルチャーショックだった!

かように何かと生徒に物質拒否を押し付ける京都の小学校だったが、母によるとPTAは京都の小学校はめちゃくちゃ真面目で子供達の教育の話ばかりだったそうだ。
それが奈良にきたらPTAは教師と親の雑談の場で、飲みに行こうぜーだったり、教師がPTA会費で「○○を買ってくれないか~~?」とねだったりと子供の話なんて何1つでてこなかったそうだ。
中学校も同じで、「中庭に人工芝を敷いたからパター(ゴルフの最後にカップにボールをいれるクラブ)を買ってくれ」とかそんなかんじ。
ちなみに生徒は中庭立ち入り禁止な!
この地域は全国屈指の日教組率なのだった。
京都の方は共産党。
そう。日教組は共産党シンパではないのだ。

実は日教組と共産党は仲が悪い。
日教組立ち上げには共産党がかかわっていたのだが、1989年に日本労働組合総連会合(連合)が発足する際に多くの官公労がそれを支持する非共産系組合と、共産系組合に分裂、日教組とは主義を異にする共産系組合「全日本教職員組合」(全教)を設立してでていったのだった。
決定的だったのは1989年だが、それ以前から仲違いは起きていた。

全教の考え方は「教師も労働者であり、同時に教育の専門家である」であるが、日教組はそれは教師の労働強化につながるといって拒否しているらしい。
全教は同和問題を「過去のもの」として取り上げずにいるのに対し、日教組は同和問題推進派だそうだ。
なるほど。
京都で同和教育がなかったのはそれでか。
やけに奈良ではあると思ったらそれでか。

でもまぁ2つに共通する「日本を否定する」という考え方は同じなんだから仲良くしろよーーと思うのだが異端は異教より憎し!である。
しかし2つが頑張ったおかげで日本で教育を受けた者は基本「安全保障?何それ?」である。

防犯カメラメーカーで世界TOPシェアを走るHIKVISION(ハイクビジョン)という会社がある。
当然、中国の会社である。
中国は防犯カメラの情報を個人情報と結びつけて、人の顔、虹彩情報、遺伝子情報(男性のみ)など(当然、学歴職歴資産なども)を紐づけしている。
中国内でそれをするのなら中国の方針でいいのだが、その防犯カメラを導入した他国(190カ国以上)の情報も中国に送られているとアメリカ政府は見ていて、既に導入されている日本にも気をつけるよう言っていた。
しかし。
その年の経団連の面々はHIKVISION(ハイクビジョン)に視察に行って厚く厚く饗された後であった。
そう・・・経団連のお偉方ももうすでに戦後教育で「安全保障?なにそれ?」世代だったのだ。

ロシアのウクライナ侵攻でその解説として大活躍している防衛研究所という防衛省の外部組織に属している人達がいる。
その中の1人が、「朝まで生テレビ」でおなじみの田原総一朗がやっている1時間番組に出た時に田原と激突していた。
田原が「これまで日本政府も総理も誰一人安全保障なんて考えていなかった」と言ったのが発端だ。
防衛研究所の人が「考えてこなかったのはあなたの世代でしょう?我々世代は考えていますし、少なくとも安倍総理は我々の提案を受け入れ、半分ぐらいは実行されました」と噛み付いたのだ。
たぶん、『あなたの世代』というのは田原たちメディアを差しているのだと思う。
「9条があれば平和であるといって考えることを否定していた」と暗に言っていたから。
「我々をあなたの世代と一緒にしないで下さい」ととても冷たく言い放ったのに対し、田原は机をバンバン叩いて「考えてこなかったんだよ!!」と繰り返していたが。

そう。
日教組の教えの主軸は
『9条を遵守すれば未来永劫日本は平和である』
『戦前の日本の歴史は侵略の歴史である』
『国旗掲揚や国歌斉唱の強制は良くない』
『教育に競争原理を持ち込むべきではない』
というものである。

田原は1934年の戦前生まれである。
教育を受ける年の1940年は戦争まっさかりで、物心がつくであろう小学校高学年や中学の時はGHQ教育、そしてその後日教組教育と移行していった時だ。
発足当初の日教組組織率(加入教師率)は80%近くあった。
徐々に減っていたが、安保闘争の時とその少しあとの1975年ぐらいまで加入率は少し持ち直す。
一節に安保闘争でわいわいやってた学生たちが教師職についたとも言われる。長期休暇がある教職は運動体としてうってつけだったのだ。
また、運動にのめり込みすぎ、単位がとれずに大学を中退した人たちはメディアに就職したと言われている。

メディアと教育現場でタッグをくんで「9条があれば日本は平和」「安全保障を考えるのは軍国主義でいけないこと」をやり続けた結果が今の日本だ。

安保闘争の時、「誰も安保なんて読んでなかった」と運動をしていた人がいっていた。
最初の案でアメリカは日本を守る義務はなかった。
それを日本を守る義務をいれ、安保運動の人が国会議事堂を取り囲む中強行採決し、その責任をとって内閣総辞職をした時の首相が岸信介である。
2日前に凶弾に倒れた安倍元総理の祖父だ。
メディアがことさら安倍元総理を目の敵にしていたのは「あの岸の孫」という事情もあったのだった。

ウクライナ戦争で「9条があれば平和」は誰の目にも嘘であることが明らかになった。
共産党ですら「9条があれば侵略されないと言ったことはない」という始末だ。
とはいえすぐに安全保障を教育現場に持ち込むことはできないだろう。そういった科目はないし、何より教えられる先生はいない。
でも少しづつちゃんと世界に向き合って変えていかないとなーーと思う。

今日は参議院選挙だ。
よく考えて投票しよう。

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2022/07/10 11:04
せんそー反対と言っているだけじゃダメなのか。




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