架空の兄(後編)
- カテゴリ:日記
- 2022/06/05 21:23:14
後日談である
司馬遼太郎作の「坂の上の雲」
この物語は二人の兄弟、秋山好古、秋山真之が明治維新から日露戦争を
経るまでの経緯を描いた日本の、いや、世界に誇るべき大作である
(聞いたことあるでしょ?)
映画にはならなかったが、2009~2011年のNHKドラマで日本中に膾炙した
私と母はこの全13回を二人並んでテレビの前ですべて見た
(実は仲が良かった)
昔のことである
(その頃私はYOUTUBEに移行していなかった!)
そのドラマの中での秋山好古の死ぬ間際の科白、忘れない
(間違っていたら赤っ恥)
《ふと目を開けて、周りを見渡し、ありがとう、ありがとう》
そう言って、永遠に目を閉じた
三番目の姉は間に合わなかった弟に涙声で教えてくれた
《急に眼を覚まして、私達や先生を見て、ありがとう、ありが、、、、》
泣き崩れそうな姉を支えながら、悲嘆にくれながら、この時がきたのかと思いながら
それでも私は受け止めました。理解しました
ていうか、自分の存在理由を知りました
《やってやる!》
葬儀には様々な手続きや選択や段取りがあります
【私の葬式のときは、当たり前だけどお前に任します。どうか、お願いします】
あのプライドの高い母の言葉を守るために私は生きる
息子に最後まで尊厳を保った、異常なまでにいや、それは通常なのか?
私自身の入院スケジュールはすべて母の葬儀後にまわしました
実家には4人の姉弟とそれぞれの伴侶が最大限の力を発揮してくれました
こっからが本当に言いたいことです
母にお願いされたのです
今度は正真正銘の喪主となりました
おそらく自分の生涯で一番真摯に、誰にも公平に
そしてやはり自分が納得できるようなこのセレモニーへの献辞を
かの地で母が(父も)聞いて納得(安心)できるような
喪主としての言葉を発する(ハッスルじゃない)ときがきたのです
それまで多数の人の前で自分の意見、意思を発表する機会は結構ありました
でも今回は違います(多分、これが集大成でしょう)
脚が震えました
(母から受け継いだ遺伝子を痛烈に感じたひと時でした⁽結構人前に弱い⁾)
何せ昔からお逢いする機会のあった大勢の、要するに年上の親戚、知人の前です
私の話が始まりました
何も紙なんぞ見てません
暗記系は比較的得意です。でも頭は悪いです
だからひたすら事前に覚え込みました
本番の30分まえには1階の喫煙室で”てっちゃん”と同席しました
てっちゃんは私の甥です
ひたすらあらかじめ用意した私の文脈を頭に徹底させているときでした
色んな思いを覚えて、こう言ったのを覚えています
「これから言うからね」
ケム臭い閉空間の中の安らぎの一瞬です
私が言ったこと(5~6分くらいかな)
ほぼ内容は覚えています
震える脚を踏ん張りながら、母への追悼を語りました
でも、話し言葉は、その時限りです
文章化されなければそれまでです
最後に
「今夜は母のためにお越しくださってありがとうございました」
そして、私の辞を終えました。目をずらすと
最前列に座っていた3人の姉達は全員大号泣です
突然声が響きました
あ、式進行の会場側のお姉さんがマイクで語りかけてきました
要するに誉めてくださったのです
(誉めるはないなあ)
いや、葬儀会社の一社員が普通そんなことやりますか?
「今のお話に強く感動しました!
私は実は患者なんです。今、この髪は※※なんです!
今、治療中なので、」
『あぶない!』
彼女は頭頂部に手を延ばしかけました
その瞬間私は母に訊きました
『できたかなあ?』
ひとでなし
いや、違う、スタッフの一人の彼女に
届いたんじゃないの?
母の遺影は常に笑っています
『何を言ってるんだか、この子はw』
『あれで、良かった?』
『脚の震えは収まった?』
『うん、なんとか』
散会後、葬儀会社のマイクのおねえさんと
とてつもなく強力なエールを交わし合いました
《お互い頑張ろう♡》
今どうしてるだろう?
綺麗なお姉さん、髪生えるといいね
生きていてね
そうして翌日私はかねてからの病院に入院し、2日後に20時間(!)の手術を施され
無事、左睾丸(悪性)と更に左腹部リンパ節の除去手術に成功し、
現在まで、(途中舌癌もはいったけどね)生きながらえているんですよね
すごいと思いません?
音楽、文学、人間の生命の在処はそこだと思うの
にーちゃん、
いるの?いないの?
返事して?
まあでももし指長いなら
ベース覚えてくんない?
あれムズいんだから
俺が唄うよ
今からでも間に合うよ
ねえ?
にいちゃん?
兄ちゃん?
思わず踊りそうになりましたよ
いや、まったくもう ハッスー
すごいです!