自作小説倶楽部5月投稿
- カテゴリ:自作小説
- 2022/05/31 21:43:08
『殺人予定』
影が立っていた。いや、西日がまぶしくてこちらを向く刑事の姿が影になっているから見えないのだ。不気味な奴だ。痛み止めが効いているせいか頭がぼぅっとして上手く考えがまとまらない。
奥様? 妻?
生命の残滓すら失い。肉塊と化した妻の躯を地下室に運んだ時の重さと触れる感触を思い出して、ぞっとした。嫌な記憶だ。さらに地上に戻ろうとして階段で足を滑らせた。気を失いそうになりながらも地下室を這い出て鍵を掛けた。
そこまで考えて俺はやっと奴が言っているのは交通事故のことだと思い出す。
バカンス直前の夫婦喧嘩のために俺は一人で飛行機に乗り、彼女は一人で立ち去った。まさか彼女が空港を出た直後に交通事故に遭うとは思わなかった。そして別荘に着いた俺はくつろぐ暇もなく警察の連絡でトンボ返りすることになった。予想外の出来事にすべての予定を諦め、警察への言い訳と対策を考えながら自宅に引き返した。
「あなたもご自宅で転倒されるなんて災難でしたね」
「ええ、まあ」
必死で頭を回転させるが上手い言い訳は浮かんでこない。それまで考えていたことは階段を落ちた時にすべて頭から飛んでしまい、自分の事故を誤魔化すことで精いっぱいだった。
「ところでどうして病院より自宅に戻ることを優先したのですか?」
「荷物が多かったので邪魔になると思いました」
「しかしあなたは玄関にキャリーケースを放置したまま家に入っている」
「それだけ気が動転していたんです。妻が死にかけているのに道理にかなった行動を取れなくなっていたようです。人間なんてそんなものでしょう?」
「そうですね。失礼しました」
これで刑事は帰るだろう。という希望は叶わなかった。
「質問を変えましょう。奥様は結婚前はあなたの秘書をされていて、とても優秀だったそうですね」
「そうです」
まさか結婚後も私生活を管理されるとは思わなかった。金の使い道から、帰宅時間、食事の時間まで、妻はすべてを把握し予定通りに進むことを望んだ。
「だとすると、おかしな事があるんです」刑事が言った。「奥様は2時、丁度飛行機が離陸する時刻に弁護士と法律事務所で会う約束をしていました」
「それでしたら、私がキャンセルの連絡を忘れたんです。妻に頼まれたのに、つい、旅行のことばかり考えていたせいでしょう。それも喧嘩の一因です」
しまった。妻はその予定を俺に黙っていたのだ。弁護士と妻が何を話そうとしていたのか聞くべきだった。それどころか、俺は周囲にバカンスの予定を吹聴し、時間にルーズな彼女が予定通り行動してくれるかということばかり気にしていた。
「大丈夫ですか?」
刑事の声で我に返る。
「すいません。頭が痛くて、」
「では、これで最後の質問にします。――さんという女性をご存知ですね。言い逃れは出来ませんよ。奥様の弁護士から写真を見せられて驚きました。奥様によく似ていますね」
◆◆◆
「まさか、まさか。交通事故から殺人事件が判明するなんて、世の中何が起こるかわかりませんね」
若い刑事は報告書をまとめながらつぶやいた。
不注意な交通事故の被害者は持っていた飛行機のチケットからすぐに身元が判明した。その女性は出発ロビーで夫と派手に喧嘩をして飛行機に乗らず立ち去っていた。警察はすぐに別荘にいる夫に連絡し、夫はバカンスを中断して駆けつける。それだけの交通事故の経緯のはずだった。
しかし弁護士が被害者がバカンスに出かけるはずも、飛行機に乗るはずもないことを証拠物件とともに訴えたことで事件が発覚した。
空港で別れた女性は妻ではなくよく似た他人だった。夫は自宅で妻を殺害、愛人の一人に妻のふりをさせて空港で大喧嘩を演じた。二人が生きて別れるところを大勢の人が目撃していた。自宅で妻が死体で発見されても夫はアリバイを主張できただろう。しかしそうはならなかった。身代わりが『妻』として病院に搬送され、急きょ『本物の妻の』死体を隠ぺいしなくてはならなかったのだ。
「警察に不審を申し出てくれた弁護士のおかげだね。そう言う点ではスケジュール管理だけでなく人選も殺された妻のほうが一枚も二枚も上手だったということかな」
「弁護士が持ってきた資料を活かせばほとんどの財産を差し押さえられて離婚されてたでしょうからね」
殺人は最悪の手段。と二人の刑事はわかっていたが、少しだけ犯人に同情した。
犯人が同情されてる…