水と道と町と季節の境目 3
- カテゴリ:タウン
- 2022/05/13 15:27:49
仮想タウンでキラキラを集めました。
2022/05/13
集めた場所 | 個数 |
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神社広場 | 3 |
おしゃべり広場 | 10 |
四択 減量辛そう…。なんだかなあ。
前回の文章を書いてから、なぜか一週間ぐらい、温めてしまった。その間に、また成城みつ池を通った。湧水エリアは基本立ち入り禁止なので、柵越しにいつものように見ると、池にカルガモが二羽いた。ここを知って、たぶん十年以上経っているが、鳥をみたのははじめてのことだった。
写真に撮る。人に気づいて逃げないか、心配だったが、いてくれた。首を背に差し入れてすこし休んだり、水を飲んだり。水音がする。池をつくる湧水が、近くの野川にそそぐために、地下にはいってゆく音だ。
そのあとで、崖下の比較的平坦な道をゆき、いつもなら、なが坂を登るのだが、今回は遠回りして、なが坂を下から見るように過ぎた後、別の坂、ビール坂から登ってみることにした。登り切ると二つの坂は出合う感じだ。ビール坂を自分の足で登るのははじめて。以前、車でよく通っていたのだが、なぜかあまり通らなくなった坂、車で通るには、すこし道が狭いからかもしれない。
坂の下がビール会社の敷地だったそうで、ビアレストランやゴルフ場があったことからの名前らしい。いまはその敷地の一部なのだろうが、マンションになっている。
いま住んでいる所は二〇〇四年から知っているので、それから二〇一〇年までの間に、車で助手席に乗って通っっていたのだろう。たいてい夜だった気がする。崖の木々がこんもりとしているのがわかるだけで、ちょっと成城エリアではないような気がした。当時、もっと郊外、緑が深い場所に、迷い込んだような錯覚を覚えたものだった。
ちなみに国分寺崖線の坂、なが坂よりももっと、家の近くまで来ると病院坂がある。横溝正史『病院坂の首縊りの家』の舞台は港区高輪あたりだが、本人の家が成城にあったので、名前だけ借りたらしい。ともかくこの病院坂は、今もよく通るなじみの場所だが、はじめて車で通ったとき、やはり、両脇にしげる木々に、うれしい驚きを感じたものだった。うれしいというのとは少し違う。病院坂という名前がすこしだけ、怖いような雰囲気をもたらしていて、どこか心がざわつくのだった。片側は中学校だが、片側は成城三丁目緑地という公園になっている。住宅地にあらわれる緑豊かな場所。ここは通るたびに、すこしの違和を感じる。ひきつけられる、ふしぎな場所だ。どうしてこんなに緑が深いのか。緑地には湧水も流れていて、中に足を踏み入れると、どこか山の沢にでも来たような気がする。
こちらの病院坂も、新緑のやわらかな色がだいぶ落ち着いて濃い色にかわってきた。スダジイの香りがする。スダジイの花の、すこし生臭いような、性、生の匂い。この香りがすると、いつも「スダじいさんだ」と声をかけたくなる。スダじいさんの季節になったのだ。このスダジイの実は、縄文時代に食べられていたドングリの一つ。こちらもいつか食べてみたいなと思うのだが、まだ果たせていない。いや、もしかすると、どこかの縄文イベントなどで、知らないうちに食しているのかもしれないが。
話がそれすぎて、何が書きたかったのか。ビール坂のことだ。ビール坂を自分の足ではじめて登った。実はビール坂という名前も最近まで知らなかった。いや、名前は知っていたのだが、この坂がそうだとは思わなかったのだ。となりのなが坂の名前を知りたくて調べているうちに、以前車で通った坂と名前が一致した。名前が一致するといつも心がさわぐ。名前を知る、名前を呼べることは喜びだ。そのことで、わたしは彼らと知り合いになることができるから。そのビール坂。実は、先週、近くをポスティングしていたとき、ビール坂界隈が担当エリアだった。そのときは、さらにとなり、中央学園通りにある坂(名前がわからない)を登ったきりだったが、あたりは国分寺崖線だし、野川や入間川など、川も近くにあるし、もしかして、ビール坂近くにも湧水が…と思って、期待して登ったのだが、残念ながら、それは見受けられなかった。けれども、わたしがこの近く、崖線のなかで通った坂、なが坂や不動坂、病院坂などに比べて幾分勾配がゆるやかだ。自転車を押して登るなら、楽かもしれない。これも思いがけなさだった。登り切るといつものなが坂と出合う。畑もあり、無人の野菜即売所もある。出合ったところから垂直にのびている道へ入れば、いつもの買い物ルートだ。いつもといつもでないことたちが混ざっている。そういえば、ビール坂も世田谷と調布の境目にあった。今これを書くので、地図を調べていたら、近くに湧水のある公園を見つけた。今度行ってみよう。
そしてまた、別の日。またポスティングバイトが岡本民家園や丸子川親水公園のあたりが担当エリアとなった。といっても、はじめて配る場所で、基本坂が多い。見事に坂上と坂下にまたがっているので、一回坂を登ったら、登りっきりという、手段がとれない。これもまた国分寺崖線上ということだ。わたしはほとんど坂の下しか行ったことがなかったのだなと、あらためて思う。砧公園の緑が見える、坂の上で、公園から現れた川があった。谷戸川という。千歳台に源を発し、祖師ヶ谷大蔵を経て、砧公園を通り、最後は丸子川へ合流するのだとか。小さな川だ。コンクリート護岸された姿がさびしい。だが水は澄んでいる。近くにお稲荷さまを祀る小さな鳥居があった。
あとで、調べると、千歳台あたりで、おそらく暗渠になっているのだろう、川の近くもポスティングをしたことがあった。川がつながっているということに思いがゆく。町と町の少しギザギザになった境を作っていた暗渠となっていた、あの川が、谷戸川だったようなのだ。そして砧公園に入る前に、世田谷通りを横切っているのだが、その姿は見て知っていた。ただ、例によって名前を知らなかった。コンクリートだらけの小さな溝を流れる水となっていて、見かけるたびに、どこかうらがなしく感じていた流れだった。あれが谷戸川だったのか。もう名前で呼べる。どうして名前で呼べることが、こんなにわたしをざわめかせるのだろうか。
そのほか、やはり坂の上で、配るエリアではない、となり町だったが、いつか発見した湧水のある公園にいきなり出くわしたのがうれしい驚きだった。あの時は、そのとなり町の坂下から登っていって、偶然発見したのだと思う。寄りたかったのだが、今回は時間の都合などで寄れなかった。でも、もう、となりからも、ここからも、道がわかった。たしか以前は工事していて、ちゃんと見ることができなかったが、もうすっかり終わっていたようだ。近々、見に行こう。冒険だ。
ポスティングが終わったのは、仙川にかかる水神橋、丸子川の起点となっているあたりだった。また六郷用水の石碑あたりを通って家へ。だいぶ日が伸びてきた。六時近いというのに、まだ昼の明るさだ。野川を渡れば、家は近い。カルガモが浮かんでいる。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
うれしく、感謝しております。
どうぞ、きょうもおすこやかにお過ごしくださいますよう。