Nicotto Town



311の赤い隊列 ☆

仮想タウンでキラキラを集めました。

2022/05/10
キラキラ
集めた場所 個数
ヒツジ学園 10
おしゃべり広場 5

4択 伊右衛門 ☆


311の当時、私は海からそう遠くない福島の実家にいたのですが

実家ベランダから津波がこちらに向かって押し寄せてくる現実とは思えない
光景も見ました。

実家から海までは自転車で10分ほどで行ける距離・・
海と実家をまたぐように海と平行に国道が通っていたのですが
町内放送で、津波が国道まで押し寄せていますので国道から離れて
高台に逃げてください、とアナウンスが聞こえているものの、
家の目の前に国道があるし、避難所は家のすぐそばだったので
実家と避難所がほぼ同じ高さだしいったいどこに逃げろというの?状態でした。

原発爆発の際も、線路は流され車のガソリンもない、道路はどこも寸断で
どこかに逃げるにしても絶望的状態でしたね・・

当時はすぐ停電になってしまって情報は完全に寸断。
道路は津波やら陥没であちこち寸断されてまさにどこにも逃げ場がない状態><

私の友人などは津波後、仕事場の仙台から自転車を借りて4時間かけて
実家に帰ったという話でしたが、後日友人宅にいった際、
津波で瓦礫だらけの何がどこにあるかわからない、道どころかどこを通れば良いかもわからない瓦礫の山状態の中、犬のように鼻をきかせて自宅の方角を突き止めて当日のうちに帰ったという友人の超人的帰巣本能に驚いたものでした。

多分家にいる5匹の猫ちゃん達が心配だったのでしょう・・

何せ、見渡す限りの瓦礫の山で徒歩ですら歩くのが容易ではなく、
瓦礫の中に目印もないわけなのでどこ方面に向かえばどこにつくかも
わからないほど。
各地から駆けつけた救援隊も、まず、道作りから、が先決だったでしょうね・・

当時は、道路の真ん中に1mほど土管が突き出ていたり、
陥没も大掛かりであちこち大きいものでは1mほどの穴も
空いていたり崩れていたりとめちゃめちゃ状態だったのでパンクで止まっている
車も見かけたり・・
道路がそんな状態なので近所の自転車屋が大流行りで、震災後数週間は自転車民が多かったです。

それでもガラス片だったり釘や角材などの切れ端とかで被災地方面は自転車のパンクも多かったようです。

友人も一度車がパンクしてました。

津波で破壊された家々の黒い粉塵は1週間ほどずっと舞ってた感じで
延々と埃っぽくティッシュで鼻をかむと1週間後でもまだ黒くなりましたっけ・・
こんな粉塵は生まれてから一度も経験ない粉塵でした・・

強いて挙げれば木を削った時のあの匂いを埃まみれの古木を削った
匂いに置き換えた感じかも・・

半年から1年はかかるだろうと思えるような広範囲のでこぼこ道が
数日のうちに次々綺麗な状態になるのを見て、
日本の土木技術にかなり驚いたものでした。

東北から関東にかけての広範囲の
被害だったので、そんな数日で道路工事が済むとはとても思えなかったので・・
日本人の本気はすごいかもです・・

考えてみると、まず道路がきれいでないと、自衛隊をはじめとして
捜索や救援の車も入れませんし、順番として道路工事が突貫で最優先
だったのでしょうね・・

当時は数日停電が続いていたのでTVも見れないし、
日本全国からものすごい隊列の救援が向かっていることなど想像もしていませんでした。

情報が入らないので被害の規模もわかりませんでしたし・・

後になって、当時の各地の動向をyoutubeなどで知ることも多かったのですが・・

日本各地の救急やレスキューなどの隊列が夜通し駆けつけるのに
道路が真っ赤になった、との書き込みを見て、youtubeで探してみたら・・
実際動画が出ていました。

あの当時も、自衛隊が一列に並んで近くの田んぼを10cm単位にゆっくり丁寧に捜索していた姿をなんどもみて感動していましたが
被災者側からするとどこから手をつけて良いかわからない脱力茫然自失の状態の際、
大勢で救助に駆けつけてくれた姿、そしてボランティアの方々の
熱意のある姿には力づけられ、本当にありがたく、みているだけで
目頭が熱くなったものです。

こうして救助に向かう赤い車の隊列を見るとまた胸が熱くなりますね・・

311の赤い隊列
https://www.youtube.com/watch?v=g_12c6FleB8

https://www.youtube.com/watch?v=9xIbweYxtC4

仙台市内の救急車隊列
こちらは大地震後であったことも
わからないいつもの町の雰囲気にもちょっとびっくり・・
宮城県の中でも海辺と内陸では天と地の差でしたね・・
https://www.youtube.com/watch?v=UuGJi9EAxYg

九州をはじめ、夜を徹して駆けつけてくれた皆さまには心からの感謝しかないです。

あの当時、飴のようにぐにゃぐにゃになった道路やガードレール、
あちこちに山積みにったものすごい数の車など、
記録として写真や動画を撮っておこうかとも考えたのですが・・
一枚も撮れませんでした。

理由は山積みの車のかなりの数には遺体があったものだし、
瓦礫の山のあちこちでも被災者がなくなっているから・・

当時は数年ショック症状で外に出る気がせず、引きこもりがちになり
海の方を友人と見に行ったのも半年以上経ってからだったかも・・
あの見渡す限りの瓦礫の山・・

言葉がなかったです・・




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