Nicotto Town



北海道の知床でこの時期救命胴衣で海に飛び込むのは


北海道のしかも知床で事故が起きた時は「死ね」と言っているような法律でしょう。
こういう現場では「非常な法律」が日本には沢山あると思う。

日本人のこういう「現実とあわない法律の改正」に対するアレルギー体質が其の時が来たら「死ね」と言っているようなのが「憲法9条」を筆頭に沢山あると思う。

結局は「イザ」と言う時に「日本人の命を真っ向から否定している法律」を改正する事に現実を見ないか日本人の命を奪う事を願った「反日工作員」が作った「美句」を未だにカルト宗教の信仰の様に体に染みついていて其れが正しいと言う様な「異様なマインドコントロール」をされた日本人の催眠状態を表していると思う。

今回の知床での事故で大勢の人が死んで初めて多くの人達は「遊覧船の法律」の中に事故が起きた時の為に救命胴衣を人数分載せて居れば良いと言うのがイザと言う時の法律の対策である事が解った。

知床でなくてももっと北海道の南の海でも私はこの時期救命胴衣で船が沈むから来て海に飛び込めと言われたらどのみち助からないと残酷に船と共に沈むか海で同じ冷たい海でじわじわと震えながら恐怖におびえて何分か後に死ぬかを選択せよと言う「安全基準の法」に従って其れを数分味わってから死ぬかを法に従って救命胴衣を付けながら死を覚悟して飛び込むかを選ぶと言う事なのだなと思う。

其れでは北海道の遊覧船は危険なのだと言う事になってしまう。
しかし此れは「法が現実と合ってない」のであって其の事に戦後何十年も北海道以外でも此の時期では現実と在ってない「法の作った安全」に普通の知能を持った小学生低学年以外の人なら推測が十分につくのではと思う事が「憲法9条」と同じように変えないでいるから其の日本人の「現実に合わない法」は改正して現実に合わせると言う事を、すなわち「日本人の命を無視した法」を現実に合わせて変えて行くという事をしないと行けないのだと言う意識をどんどん持つという事だと思う。

もう何十年も前に真夏の保育園で孫が熱中症になって病院に救急車で保育園からつれて行かれた。
私が駆け付けた時には例の指で測るのの数値は「85」で助からないので知らせる人が居たら知らせて欲しいと言う事で単身赴任をしている人達や遠くに居る身内に連絡をした時に近くの私だけが駆け付けたのだが気を失ってから孫は死線を4歳の体で彷徨っていた。

保育園は「安全基準の法」にのっとって運営されている公立の保育園である。
そして「安全基準の法」の通りに順守されてその通りの基準で運営上何の問題もないし、掃除も行き届いていてどこかに隠してある補助金だけ貰ってぼろになった個所を改修されてないという事は無かった。

唯私がどこの学校でもある、見慣れた小学校や保育園の風景にずっと役に立たない物として見ていた風景の日常に潜むものを疑問を持ちながらも未だに改善されずに存在している物に孫が殺されかけたと言う事なのだ。

其れはどこにでもある外にある水飲み場である。
北海道でも日本全国どこにでも外に水飲み場がある。日本全国で起きる事で在るが其の年は例年になく暑い日で外遊びをしていた孫が熱中症でぐったりとして倒れらしい。

保育園側は熱中症と気が付いて涼しい部屋に孫を映して頭を冷やして対処したがいっこうに意識が戻らないので救急車を呼んだという事らしい。

日本中の多くの保育園も学校もそうだが4歳の子供が自らあの触ると火傷がする様な炎天下にさらされた水道の蛇口を自らひねってしばらくお湯になった水を出しっぱなしにして冷たくなったら飲むと言う事が出来るのだろうか?更に冬場は北海道の人なら解る様に外にある水飲み場など凍り付けで使い物にならない。

私は何時も冬場と夏の暑い時期は役に立たない小さい子供の背丈に合わせたずらっと並んだ水道の蛇口が在る水飲み場の存在に首をかしげていたのだが其れが「全国の公立の保育園」の安全基準に合わせた保育園の設計で在る。

勿論子供に水分を取らせる基準も額面通りのスケジュールを守ってやっている。
恐らく日本の暑い所の保育園では熱中症に何度か事故に子供が在って其れに合わせて工夫をしているのだろう。

其の日は北海道にしては珍しく暑い日であった。
直ぐに駆け付けられない身内ばかりで孫の死に立ち会うのは娘と私だけである事に覚悟をして傍に付き添ったが「奇跡的」と言うか病院が出来る事は全部した(あらゆる手を使った)と言う処置が功をそうしたのか何とか意識が戻った。
熱中症だったので回復すると孫は死線をさまよったとは思えない程直ぐに点滴のくっついた手を無視して動き回ってベットの上で立ち上がったりベットから降りようとするのをじっとさせておくのに必死に説得しながらも娘と私の目にはうれし涙がじわっと出た。

保育園ではやはりミスはミスであるが市が決めたスケジュール通りの事しか出来ないのも公立の保育園の現状である。

だが誰かが一人ぐらい死んだとしても変わらない日本の法律である。
何人もの幼児の命が熱中症で死んでからやっと問題になって其の命の犠牲を持ってやっと取り上げられて熱中症対策が行われて決められたスケジュール以外でも子供の様子で暑そうな時は水分を決められたスケジュール以外でも保育士の判断で取らす事が出来る様に成るのだろう。

現場の保育士も勝手に判断して水筒に水を入れて置いて飲ませる事すらできずに北海道では珍しく暑くなった日には現場の保育士の判断で決められたスケジュール以外の時でも水分を取らす事が出来る様に其の後に改善されたのかは私は確認をしてないが其の事故の時に何とも日本らしい事で孫の命は無くなる事だったと思った。

今回の知床の事故でも誰もが普通に万が一の時は救命胴衣を付けていても海水温の冷たさで死ぬだろうと言う事は常識として想像がつくが「法を変えたがらないマインドコントロール」をされた世界の常識から逸脱された法改正のアレルギーの元にあきらめの様な感情で死と隣り合わせの「安全基準の法」が無情に使われ続けた挙句の事だろう。

「日本の憲法9条」が日本を攻撃しようとする国が順守するとは思わない事は中学生でも理解できるだろう。

其れでもまだ日本は日本国民の命を無視した法率を日本国民の命を守ろうとしない法律を何のために自国に恥ずかしくなく作っているのだろう。

此の現実に空しくなる。

今度の知床の事故で「救命胴衣を人数分載せている法」が改正されて冷たい海水温に合わせた「万が一の時は命が助かる法」に改正される事を願っているが、日本人の命を守ろうとしない「憲法9条の改正」はマスコミも意図的に其れが日本人を守らないと言う事が中学生でも理解できるようになった今でさえ変えようとしないのかと此の国の日本人の命を無視した非常な法律の存在に情けなくなる。




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