Nicotto Town



2/4 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2022/02/04
キラキラ
集めた場所 個数
おしゃべり広場 5
ペット海浜公園 4

4択  「ポップ


キラキラ  「おしゃべり広場 キティ右頬

     「ペット海浜公園 左の柵

4択 よく聴く音楽は? → ポップ


やってきました!クイーンタイム!(そんなものはない)
考えてみればフレディに狂って1年になるなぁ。
・・・短っ!!

大晦日の年越しを私はマビノギで迎えるのが15年の定番になっているのだが、その時だけ1年ぶりにやってくる友人というのが多くいる。
いつもは真っ黒(オフライン)なフレンドリストが緑色(オンライン)になって「久しぶりー。元気だったーー?」と会話するのもまた楽しい。

そのうちの1人で音楽の趣味がほぼ私と同じ人がいる。
「よー、元気だったーー?」
「最近どうよー」
「クイーンにずっぽりよ」
「おーーーーー」
という会話まではよかったが
「これからさぁ、俺たちが好きな奴らがどんどん死んでいくんだよなぁ」
「ちょっ。お正月から何不吉なこと言ってんのよ」
「エディ・バン・ヘイレンも死んじゃったんだ・・・次々だよ。次々いくよ・・・」
「・・・エディ・・・(T_T)」

いつもにこにこ笑っていながら超絶技術を披露していたバン・ヘイレンというバンドのギタリスト、エディ・バン・ヘイレン。
名字がバンド名なのは実兄もドラマーとしてバンドに在籍している(後にエディの息子もベーシストとして参加)ため、大学時代にその名前で活動しだしたらしい。
タッピングというギター奏法を広く普及させた人である。
本人曰く「右手の人差指を左手の6本目の指のように使うことで奏法の着想を得た」らしい。
なんのこっちゃ!
右手はコードを抑えるのに使うのに弦を弾いたのかな?
「ジャンプ」という曲が大ヒットしたバン・ヘイレン。
1978年のデビューだがすぐに売れて他のミュージシャンがキャンセルする穴を埋めるためにデビュー後半年で来日公演をしているが追加公演があることから大人気だったことがわかる。
2013年の来日では「写真、録音、録画、YOUTUBEへのアップなんでもしていいよ!」というファンサービスで日本ファンを大歓喜させたらしい。
2000年に舌癌を発端に癌が転移して治療や静養が多くなっていたエディは自分の余命を考えて金儲けだけではなく自分の歩いてきた道を残すこと、ファンにありがとうということを考えていたのだろうか?
2020年10月に65歳で亡くなっている。

全然知らなかったのだが、日本の音楽業界の大きさはアメリカに次いで世界2位らしい。
日本にサービスするバンドが多かったのはそういう理由もあるのもしれない。
曲に日本を侮蔑した文言を使っているピンク・フロイドですら来日公演をしている。
U2のボノは鯨を食べる日本人は野蛮で大嫌いらしい。それでも6回ぐらいは来日している。
お金の力って偉大だ。
ショーマンなのだから仕方ないといえばない。

戦争で父親を日本兵に殺されたピーター・タウンゼントはまぁ日本が嫌いでも仕方ないね!!
イギリスとアメリカは敵だったから、私がファンになっていた人たちの父親や親戚は参戦経験が多かったのかもしれない。
日本は敵でひどい未開の野蛮人、と子供の頃に聞かされて育った人も多いだろう。
それでなのか、元ビートルズのポール・マッカトニーも日本のことは好きではなかったらしい(彼の場合ヨーコ・オノの存在もあるけどさ・・)。
しかし、新曲を演奏するとガタガタと席を立って帰ってしまうアメリカ人に比べ、一生懸命一緒に歌ってくれる日本ファンをステージ上から見て、日本が徐々に好きになってきたらしい。

一度好きになったものを追いかけまくる日本のヲタク心!!!
フレディ亡き後、ギタリストのブライアン・メイが来日公演でフレディと二人で演奏していた曲を弾き、1人で歌いながら泣き出したのも(他国でもそうやって演奏してたのに・・・・)、日本での思い出や前と変わらず熱心に一緒に歌う日本ファンの心が胸にきたのかもしれない。

友人は不吉な言葉を残して「また今年の大晦日なー!」と言って去っていった。
曰く。
「オレの友人にさ、アニメヲタクしてた奴がいるんだけど、ある日、クイーン全集を買ってきていきなりクイーンヲタクになった奴いるよ。ヲタクはヲタクになるんだなぁ」
「・・・その人、アニメは?」
「アニメには戻れなかった」

・・・・・1年アニメご無沙汰だけど!絶対戻るからーーー!!!!





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