哲学的思考について
- カテゴリ:その他
- 2009/10/17 22:29:53
自分が自分であったり、人であることが当たり前だと思っていませんか?
それは間違えているのではないでしょうか?
自分が人間だという事を誰かが証明した。
でもそれって私たちのことも言ってるのでしょうか?
おや?そんなこと当たり前じゃんって顔ですね
それこそ間違っています
当たり前だとかありえないだとか極端な考え方それこそ偏見なのです。
偏見というものは単なる自分流の考えではなく、当たり前だとかありえないだとか、普通の人が考える事です。
自分が人間だということしか言っていないのに誰かがそれを自分たちのことでもあるということと勘違いした。
結局それが偏見の始まりです。
偏見とは勘違いと言うことです。
さて、話は戻ります。
人生とは答えがある問題が書かれたテストを回答していくようなものです。
模範解答はあるのでしょうか?
モチロンありません。
無いのですから、100点満点はありえません
0点はありますがね
それは、答えの書かれた問題の答えの部分を書いただけの答案です。
これは知識力の無い人間です。
知識力と学力は別です。
知識とは知ったことに対して、どう認識し、どう考え、どう整理するかです。
学力とはただの定義の羅列です。
定義なんて真実でも事実でも無くただのこの現実という名の現象上の世界でしかないのです。
現実とは現象上の世界です。
夢は現実ともいえますがそれ以上のものを持っています。
それはある確かなものです。
それはその人がそう考えている、その人がその世界自体であるということ。
これは現実でもいえることなのですが、本質的ではないのです。
生きるという事はとても長い小説を書くようなものであったり、答えが問題のテストを解答したりするものです。
それゆえに、悩み、苦しみ、辛いものなのです。
ですがよく悩み、よく苦しみ、辛さに耐えぬいていくことで答えが見つかります。
だから答えの無かった時代、発明家や哲学者は答えを導き出してきたのです。
もしも、自分は自分であり人であるといった場合、世界がひっくり返ります。
それはなぜか?
夢では自分が世界であるというからです。
ま、話をまとめるとですね、数学も国語も理科もすべて哲学的思考により導き出されたものなのです。
皆さんも哲学を勉強して哲学的思考を持って生きてください。
勉強しなくても持ってるものなのですがね。
ちなみに私も勉強中です。
お互い頑張りましょう!!
以上!!!