親ガチャって言葉
- カテゴリ:日記
- 2021/09/20 20:23:43
最近ネットで話題になっている言葉
「親ガチャ」
ググってみました。
親ガチャとは、子どもは親を選ぶことができないため、どんな親や境遇のもとに生まれてくるか、実力とは無関係に“運で人生を左右される”という意味を、ソーシャルゲームのキャラクター入手や、カプセルトイなど商品の購入方法がランダムな「ガチャ」に例えた言葉だ。
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う~ん
何だかなぁ。
そんなことしょうがないと思うのですが
一言で言えば
「人は自分では変えられない。変わるのは自分自身だ」と
言いましょうか。
大変な境遇の方もいらっしゃると思います。
その方に対しては失礼な言い方になるかもしれませんが
自分でできることはあるのではないでしょうか。
なのでこの言葉は嫌いです。
例えば大学に行くのは頭の良い人より、裕福な家の人が多いそうです。
親の影響を受けないのは結構難しいと思います。
なので「親ガチャ」はうまく現実を表現している気もします。
「親ガチャ」と言う不快に思う人は、自分が成功したのは自分が努力したからと思いたい
と言う奢りということは無いでしょうか?
悪い意味でよく使いますが「親ガチャ」と言う言葉によって、
親に感謝をする気持ちも増えて行くと良いなと思います。
子供は生まれを選べない。金持ちか貧乏か、親が有能か無能か、子供にとっては運次第です。また残念ながら、知能、運動能力、美的能力といった能力や、性格性向といった精神的気質、これらは遺伝の影響を大きく受けます。では知能の高い両親には必ず知能の高い子供が生まれ、その逆も然りなのかと言えば、それは否です。遺伝の優性、劣性の組み合わせのパターンの中で決まるものなので、親の特性をそのまま引き継ぐわけではありません。ただ傾向としては当然ながら…というのもまた然りなのですが。
一方で、環境が生まれた後の性格や能力を左右することも確かでしょう。そして家庭環境も環境の一つではあるので、ろくでもない家庭で育てば、その影響を子供は受けはします。受けはしますが、その環境をネガティブな内容そのままに引き継ぐ子供もいれば、それを反面教師として奮起する子供もいる。それは当人の素質と家庭外の環境にもよるとしか言えません。
変わるは自分自身ですが、変わる努力が出来るか否かも、結局は努力ができるという当人の素質の有無で決まるわけで、要は鶏卵、混然一体。やれば出来るという言葉がありますが、それはやれば出来る知能と、努力できる能力、この両方の素養があれば、やれば出来るという結果につながるというのが実際です。
話題になったビリギャルは、まさにそれ。そもそも彼女は知能が高く、努力できる性質も備わっていたが、その能力を発揮するモチベーションが高まるような環境になく、しかしその環境の変化と、彼女を適切にサポートする有能な教師や親という絶妙な組み合わせが発生した結果として、映画のようなことが起きたのであって、だれでも頑張ればビリギャルになれる可能性があるのかというと、それは残念ながら否。
二つ言えることは、まず自分がどの組み合わせなのか、総体的な姿は自分では把握しきれないのだから、やれば出来るはずだと信じてやるしかないが、やれるかどうかは結局は当人の資質や環境次第で決まる残念な現実もあるということ。
もう一つは、他の方も言っている通り、幼い子供にとっては親の存在は絶対的であり、自分で変わる、自分で変える、などという話は通用しない、ということ。
不快感を感じる言葉だから耳に残り、伝染していくんでしょうね。
不快感を感じるYouTuberも注目を浴び、何を勘違いしたのか、衆議院議員に立候補しだすし…何かの間違いで当選しちゃったりするんでしょうね…。
嫌な世の中です。
プチは、悲しいけど生まれてくるところ、親によって人生変わると思います。
自分ではどうしようもできないことってあると思います。
せめて、できることは、思うことは、「親ガチャ」にハズレが入っていないことを祈るばかりです。
その後の人生は自分で切り開いていくものです
私も親から小さい頃からひたすた見下されて生きてきました
いわゆる言葉での暴力でしたね
決して裕福な家庭ではなく貧乏でした
それでもアタリだとかハズレだとかいうつもりもないし
考えたこともないです
ただ・・親から虐待されている子供の話を聞くと
親ガチャって言葉を使いたくなるのも仕方ないのかなって考えてしまいます
今日は綺麗なお月様観られそうかな?シン夕食はモスかも?ww
するのですよね。この世には筆舌に尽くし難い宿命のようなものを
背負って生まれてきて来てしまう人も多々見受けられます。
行き場のない人生への密かな慟哭のようなものを全否定する気にはなれないです。
運に勝るもの見つけるのは中々難しいかもしれません。
でも、諦めずに抜け出し、自分の人生を自分で生き抜いている人だって、いっぱいいるのです!
自分以外の何かのせいにしたい気持ちが想像できないわけではないけど、
諦めないでと願うばかりです
少なくても、アウシュビッツよりはましなのですから!
周りが気がついて支援の手を差し伸べるしか生きる道はありません。
なんだか切ない言葉ですね。
私も運が悪いなと思うときはもちろんありますが
親のせいにするようなこの言葉は嫌いです
親のせいにしていると感じますが.....。