飛び降り損ねた2人の話。
- カテゴリ:自作小説
- 2021/08/14 21:31:02
自殺したかった天然ゆるふわメンヘラと
自殺したかった抱え込み過ぎ社畜OLが
偶然出会い、お互いが隣にいることで、
生きることに少しだけ前向きになる話。
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「天使になりたかったんです、私。」
自分の内側で心臓がドクドクと鳴る。五月蝿い。まるで警報だ。両手で掴んだ彼女の肩は薄く、細く、小刻みに震えていた。脱ぎ捨てられたピンクの厚底靴が「遺書」と書かれた封筒を押え付けているのが目の端に映る。夜23時、8階建てのビルの屋上。私は今日ここに、飛び降り自殺をするために来た。毎日がしんどかった。楽になりたかった。決死の思いで登りきった長い長い階段と分厚く重いドアの向こうには、先客がいた。無理だった。衝動を抑えきれなかった。柵を乗り越えようとする彼女を引き戻してしまった。アァ馬鹿。私は何をしたんだろう。脳みそがジリジリと焦げつき思考を奪う感覚に感謝する。遅くなれ、思考。愚鈍になれ、お願いだから。アァ目の前の自殺を止めた理由なんて気がつきたくない。「私自身が自殺を止めて欲しい気持ちがある」事実に、気が付きたくない。
8月特有の生ぬるい夜風。目の前の誰かはすすり泣くように両手で顔を覆っている。
「屑で無能な私なんて世界から消えた方が正解なんです、だからぁ」
「だから、天使になりたかったの?」
「·····そうなりますぅ」
頻繁にぐずぐずと鼻をすするため聞き取りづらく、文法も滅茶苦茶な彼女の話を私はただ聞き続けた。意味は全部分からなかったけど、何となく、気持ちは分かって私も泣けた。
「ねぇ、このまま心中しない?」
「なんかぁ、今日は自殺、もういいかなって気がしてきました」
「そっかぁ。実はね、私もここに飛び降りに来たんだけど、今日はもう無理かな」
「·····おねぇさんもおんなじ目的で来たんですね、ここ。なんか私、悪いことしちゃいましたか」
「それはこちらの台詞でしょう?怒ってよかったのに。お前みたいな立場のやつが他人の自殺に水刺すなって····だからうん。ごめんなさいね」
「きゃはは。へんなの~」
ピンクのミニワンピースにツインテール。聞けば歳は27歳らしい。言われなければそうは見えないくらいに、表情も仕草も幼い印象。地下アイドルをしていると聞き、偏見かもしれないけれど納得した。スマホの明かりで照らされた顔は、化粧も涙と鼻水でぐしゃぐしゃだったが、整っていると思った。今どき流行ってる顔。テレビを見ないから詳しくないけどハシモトカンナみたいだねと褒めれば、「顔面が可愛くても幸せになれるかは別みたいです」と言ってまた泣いた。顔のことを顔面っていうタイプの子だった。あと可愛いって自覚あるんだ。
目の前にある小さい頭を撫でる。少しビクッとはねた後、空気が抜けたバルーン人形みたいにもたれかかってきた。
「おねぇさん、何歳?」
「お嬢さんより5回多くの冬を経験してきたわ」
「32歳かぁ」
「こら、誤魔化したのにそんなはっきりと」
「気にしてるんですかぁ?」
「あんまり」
「ならいいじゃないですか。私より5年も長く人間頑張ってきたんですよ。疲れたでしょう?
とっても とっても偉いです」
アーモンド型の綺麗な目と視線がぶつかる。端っこについた水滴を、胸ポケットに押し込んでいたハンカチで拭いてあげたら、チェシャ猫みたいな表情でにんまりと微笑まれた。
「それはそうとおねぇさん~。あのね私、帰る家ないんですよぉ」
「唐突ね」
「おねぇさんの先の短いかもしれない人生、アイドルをお持ち帰りした経験付きにレベルアップしてみません?」
それは、とっておきのいたずらを提案するような、楽しげな口調。十数分前とのテンションとの差が面白くて笑ってしまう。この子は幼げな見た目とは裏腹に存外賢いのかもしれない。お互いあのどうしようもないタイミングで出会っただけで、腹を割って話した訳でも信頼に足るほどの材料があった訳でもない。だけどまぁ、絶望的に息苦しかったさっきまでの呼吸が、ほんのちょっぴり楽になった。うん、手を伸ばす理由なんてそんなもんでいいだろう。
この先彼女を拾うことで最悪な事態に陥ったとしても、その時は死ねばいいだけだ。
「オッケー乗ってあげるわ。お嬢さんの名前は?」
「エンジェルちゃんって呼んでもいいですよ」
「·····この取引はなかったことにしましょう」
「待ってうそうそ!私は木本未来(キモトミク)。
ミライって書いてミクって言います!」
「未来って書いてみく?」
「そう、自殺常習犯なのに笑うよねぇ。
名前負けにも程があると思いません?きゃはは。
まぁいいや、おねぇさんの名前は?」
「·····なつこよ。峡谷夏子(キョウコクナツコ)」
「なつこさん。声に出したくなるお名前ですねぇ。
へへ、よろしくお願いします」
「まぁうん、よろしくお願いします」
私は今日、未来と出会った。
天使に成り損ねた美‘ 少女 ’と呼ぶには、数年長く生きてしまった夢見がちな人。何の因果か知らないけど、最低な気分からは抜けられたから、今夜はもうそれだけでどうでもいいや。帰ったら風呂に入ってそれから眠ろう。明日のことは明日の私がどうにかしてくれるだろうし。
ニコニコと笑うみくは、何を考えているか分からない。私からふわっと離れ、またいつか再利用するであろう遺書を綺麗にポシェットにしまいこみ、ピンクの厚底靴を履いた。
「なつこさん。まだ座ってるの?行こ!」
私に向かって手を伸ばす彼女の頭上には、
雲が丁度よく月の光を零し、天使の輪っかを作っている。
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