Nicotto Town



30,31冊目、読了。

「終わらざる夏」 (上)(下)  浅田 次郎  著 

この本は3年前に読んだのだが、すっかり忘れ題名に惹かれ、また借りてきてしまった。1回読んだだけでは記憶にもなかった部分もあり、再読して良かったと思っている。ちょうど、終戦の8月でもあり、戦争を知らない時代の私でもせめて、戦った兵隊さんに対する供養の意味もあり熟読した。

終戦も間近な昭和20年5月、本土決戦に備えた200万に上る大動員が行われた。もう兵隊に出るような若者もいないような時期にである。これを組む大本営の動員担当者の苦悩、数字でしか挙げていないが結局のところ、それが生身の人間であり戦死でもすれば自分が殺したようなものである。これは、現地で赤紙を誰に渡すかを決める市町村職員も同じであった。ましてや、一部の上層部しか知らないとはいえ、天皇は「和平を希望である。一億玉砕はけっして御宸念に添い奉らぬ」と言われる。つまりは、無条件降伏という先が見えているような状態での出征を、余儀なくされた人たちの物語であった。

戦地は最果ての千島列島の最北端「占守島」冬の寒さは厳しいが、短い夏は花々が咲く天国のような美しい島である。傷痍軍人となっても招集された軍曹、翻訳家として働いていたサラリーマン、若い医者、挺身隊員として働く女工、志願した少年兵、自分の居場所として軍隊を選んだ老准尉、学童疎開した子供たち、また、運よく終戦のラジオ放送を聞き、寸前で出征を逃れた男などそれぞれの人間がどのような形で戦争を捉えているか、いろんな方向から書かれていた。

終戦直後、不可侵条約を破ってのソビエトの攻撃。それで両国においてどの位の人間が命を失ったか。戦いに勝ちながらその後のシベリア強制労働、ああ、なんて敗戦国は無力なのか。卑怯なソビエトにおいても、占守島に派遣された部隊は、なぜ自分たちがここに来なければならないのか少しも想像ができなかった。上層部に騙されて連れてこられたような兵たちだった。誰しも親や兄弟、奥さん、子供、或いは恋人がいるような何の罪もないただ国の命令で兵となっただけであった。若いソビエトの士官の夢の中で、不思議に日本の子供とのかかわりが描かれている。戦争はそれぞれに正義があり、どちらが悪いと一概には言い切れるものではないが、二度と起こしてはならないものであると強く思う。そう判っていながらこの地球上のどこかで戦争が起きている。人間はなんと愚かな、懲りない生き物であろうか。

カムイ・ウン・クレ ( 神、われらを造りたもう。)先住民のクリルアイヌが嬉しい時哀しい時、感謝をする時などいろいろな時に使う。大いなる自然に向かい心を込めて発する言葉。これを唱える限り人は怒ることもなく、争うこともないという。世界中の人がこの言葉を知って忘れないでいてくれたらと思う。

ダモイ(帰る?)。必ず日本に帰る。

ダモイ。いまいちど純白の衣を着て救われざる命を救う。

ダモイ。だから必ず日本に帰る。最後に残った軍医のシベリアの地での新たなる決意である。

蛇足ではあるが、あの子供たちはその後どうなったのかなと思う。戦後の目覚ましい復興を遂げた日本であるからきっと、親の無念を晴らすべくまた、助けてくれた多くの人の恩に報いるべく幸せになったに違いないと想像している。


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2021/08/12 00:25
ワードで下書きをしたものをコピー&ペーストしたのですが、
文字の大きさが一律にならず読みづらく申し訳ないです。
3㎝もある厚い本2冊の感想をまとめるのは、大変でした。



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