Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


夏休み登校日の日記(9)8月5日

夏休み登校日の日記

さきほど学習記事を2件投稿しました.

7月27日(火)の途中で夏休み宣言したので、火曜日記事
の残り分でした.

以上

—————————≪ここから夏休み日記≫———————————————

 自分にとってこの世で一番大切なものは「煩悩」である.
その一番大切なものより、さらに大切なものがあるらしい.
それが「覚り」だというのである.
しかしそれは仏教教義の上でそうなっているだけで、やはり、我々には
「煩悩」が一番大切なものである.

それがこの世を去るときには、持って行けないものだというのに、
である.

この世を離れるときに、持って行けないというのは何という苦しみで
あることか.
自分の愛するものから離れて行かなくてはならないという、まさしく
愛別離苦がここから永遠に始まるのだ.

愛するものと離れる苦しみ(愛別離苦)を生じさせないためには
生きているうちに「覚り」の境地に達しているのがいいのだが、
我々は、そんな「覚り」なんてうそっぱちさ、と言って無視している
のだが.

それが正しい見解ならそれでいい.
でも、もしも死後の世界があったらどうする?

死んでから、本当に眼前に「三途の川」が流れていたら?
ここでみんな身震いをするといいます.

 「しまった.本当に三途の川があったのか!」

川岸に奪衣婆(だつえば)と呼ばれるおばあさんがいて、

 「さっさと服を脱げ」

とせきたてます.

脱いだ服は、懸衣翁(けんねおう)というおじいさんに手渡されます.
おじいさんはその服を、1本の木の枝に掛けます.その木は
「衣領樹(えりょうじゅ)」という木で、この世で犯した罪の重さを
測る木です.重い罪だと、服を枝に掛けた時、ぎゅーと枝が垂れ下がります.
するとおばあさんが言います.

 「お前は生前、悪いことをいっぱいやってきたであろう.お前は
橋を渡ることはできない.川を歩いて渡るのだ.」

川を歩いて渡るのですが、浅瀬を渡るか、深いところを渡るかは、
衣領樹の木の枝のしなり具合で言い渡されます.
そして浅瀬を渡るように言われても安心してはならない.
三途の川には、ピラニアがいて、悪人が渡ると寄って来て、足を噛むのだ.
向こう岸にたどり着いたときには、ふくらはぎはすっかり食いつくされて
骨になっている.




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