Nicotto Town



8/3 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2021/08/03
キラキラ
集めた場所 個数
ニコット山 5
ショップ広場 4

4択  「くせ毛


キラキラ  「ニコット山 下の茂み
     「ショップ広場 電話ボックス

4択 髪の悩みといえば? → くせ毛


4月22日に出題された今年108個目の問題。
しかしその時選ばれた選択肢は「薄毛」でした。

くせ毛にしても薄毛にも目立つから悩む。
くせ毛なおしスプレーなどで手入れしたこともあったが、なおるわけないよねー。

方法としては
・洗髪し、ドライヤーで丁寧に整える
・まとめ髪にする
が解決方法だったので朝の支度の時間が惜しい私は後者を選択。
まとめ髪だって手間のかかるまとめ方もあるのだろうが、そんなことするわけない!
髪を手でまとめて2つ折にした根本にパチン、それを頭の後ろにもちあげて真ん中をパチン、ととめれば終わり。
さぁ、そのまま会社(もしくは大学)にひとっ走りだ!

高校の時は肩につく髪は2つにわけて黒いゴムで結べ、とあったので適当にわけてむすぶだけ!
校則を邪魔という人は数多いが、校則を手間だという人はいないぐらいシンプルだ!
なんで2つにわけるのかは知らない!
ちなみに私が卒業後その校則は廃止され1つに結んでもいいことになった。
2つにわけろ、とあったし髪がもわ!と広がっても邪魔なのでおさげ髪にすることも多々。
そうなるとくせ毛の方がまとまりやすく、まっすぐな髪の人は羨ましがっていたが、私はおさげにしてもつやつやと光リ輝くストレート髪が羨ましかったな。

おさげと日本のかかわりは割と古い。
長野県の縄文遺跡から「髪を2つにわけ三編みにした」土偶が発掘されている。
角髪(みずら)と呼ばれる髪型(長い髪を2つにわけ、耳のあたりで輪状にして、残りを垂らす)は男性の髪型として一般的であった。
基本は輪っか状の髪とその残りを垂らす「下げみずら」であるが、輪っかに髪の毛をくるくるとまとめてその中央をしっかりと固定してしまう「上みずら」も兵士などの土偶に見られるようになる。
髪が揺れては邪魔な農夫などもその髪型をしていたといわれている。
その時、髪の毛は三編みにしている形跡はない。
ないが、してなかったとも言えない。
要はまとまればいいんだ!

高貴な児童は下げみずらが基本なので、聖徳太子像などであげみずらにゆってあったりするのは間違っていることになる。
聖徳太子像は太子信仰と共に後世書かれたものであることから(特に鎌倉時代は一大ブームになっている)奈良時代のことなど誰も覚えてないから仕方ない。
そしてそのうち2つにわけてくくるのは面倒だったのか1つにまとめるゆい方が主流になっていく。

おさげ(三編み)の復興は明治時代となる。
新しい髪型として和装にも洋装にもあうようにと、おさげにして折り返してまとめていく髪型などが考案されたようだ。
しかしそれも鹿鳴館時代の終わりに廃れる。

その後大正時代に入り、女学校ができるとその髪型として三編みが登場する。
まだ髪の毛を短くするのに抵抗があった古い祖父や祖母のいるいいところのお嬢さんたちは、セーラー服に三編みといういでたちで当時の往来を行き来していたのだ。
そして三編みが廃れるのは昭和になって校則がかわっていってからだという。

今、校則でおさげにすること、となっている高校はまだあるらしい。
千葉県の市立和洋国府台女子高等学校が代表格らしい。
しかしそれも「入学式、卒業式など儀式の時は」三編みにするのであってそれ以外の時は1つにくくってもいいらしい。
髪型 校則 で検索してみると「女性でも肩につかいぐらい短くしなくてはいけなかった」「校則で三編みが禁止されていた」など様々だった!
そしてやはり、三編み強制のところも多かったが、反対運動で潰していったという書き込みいっぱい。
くせ毛には楽な髪型なのだが「古い」というイメージは致し方ない。
時代と共に髪型は変わっていくからね。

縄文時代、男性がお下げ髪をゆっていたからといって、今それをやったら笑いものだ。
薄毛の人は・・・・いい薬ができるのをまとう!

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2021/08/03 18:41
下げみずら…厩戸の王子だ~。




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