科学的に何かを考えてはいけない場面もある。
- カテゴリ:日記
- 2021/05/21 05:18:06
ほとんどの事は、型にはめて科学的に考えれば、答えが出てくることもあるんだけど、そうしたらダメな場合もある。
むずかしいね。
科学では説明できないこともある。
例えば、「思い出。」
子供のころは、節度ある行動とか、考えながら生きていない。
欲求を中心に生きているから。
欲求を中心に生きていたころがあった。
そのころの思い出は、ものすごく愛がいっぱいある。愛にまみれている。
今一人でいるので、寂しいときに欲求にまみれたときにあった、愛を思い出してみたんです。
そしたら、とんでもない幸せ感があった。
でも、今の私はもう年寄りでそういう欲求はないし、今現在、欲を出して、何かをしようとするということも、難しいのかもしれません。
が、
その昔の欲求を中心に生きていたころのことを思い出しただけで、
自分では信じられないような、重労働に関する力が湧いて出てきたことがあったんです。力が出たんです。自分でも信じられない。
説明するのが難しいんですけど、それは今の話ではないので、それにかかわると、
とんでもない噂とか、とんでもない、恥ずかしい話に巻き込まれてしまいそうになるので、みんな引き離されると思いますけど。
それは今の出来事ではないので、引き離される必要がないはないものなんですよね。
「思い出」に関することだっただけで。
私だって、恥ずかしいですよ。
こんなことが、表面化して、人にみんなにばれるなんて。
思い出は自分一人で、思い出したいです。
他の人と一緒に思い出すのは、ごめんだなって。
はずかしすぎるもの。