5/20 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2021/05/20 03:18:08
仮想タウンでキラキラを集めました。
2021/05/20
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ショップ広場 | 4 |
展望広場 | 4 |
4択 「横浜」
キラキラ 「ショップ広場」 ニコっと洋服店
「展望広場」 屋敷の木立
4択 住んでみたい街は? → 横浜
4月14日に出た今年98個目の問題。
順調に問題数が増えていってる~~。
今年も半分近くまでき・・・パタリ
月日が経つのが早すぎないか???
横浜か。
シューマイだな!!
昔は餃子もシューマイも家で手作り。
包む作業の手伝いをしたものだ。
今は生餃子、生シューマイが半額になっていたら買ってきて火を通すだけだ。
怠け者に・・・・いえ!お手軽になったね!!
明治14年に中華民国広東省出身の鮑棠(バオ・タン)氏が横浜山下町に「博雅亭」を開店。その後、伊勢佐木町に進出して二代目、鮑博公(バオ・ボオゴン)氏の時代に日本で初めて「焼売」が製造販売されることになる。
広東省では「シウマイ」と発音。北京語(標準語)では「シャオマイ」と発音する。
前述の「博雅亭」だが、二代目の義弟が横浜野毛町に博雅亭の姉妹店として「博雅茶郷」を開店、横浜高島屋オープン時から焼売(シウマイ)を「ヨコハマ博雅」のブランド名で 50年余にわたり販売してきた。
シュウマイといえば崎陽軒、というイメージだが元祖は「博雅」らしい。
崎陽軒は1928年(昭和3年)に横浜駅の4代目駅長・久保久行が創業。
その頃、横浜に名物がないということで南京町(元横浜中華街)で突き出しとして出されていたシウマイに目を付け、「冷めても美味しいシウマイを」のスローガンで試行錯誤の末、干し貝柱と豚肉を使用するレシピを考案した。
というわけで日本の焼売の歴史の元祖は「博雅」、横浜以外の都市にまで広めたのは「崎陽軒」ということになるのだろうか。
「博雅亭」で焼売をどう呼称していたのかはわからないが、シウマイは、崎陽軒の初代社長がシャオマイと発音できず「シーマイ」と言った所中華民国人のスタッフが近い!と言った為に「シウマイ」表記するようになった・・・らしい。
「美味い!」にかけてもいる、らしい。
語呂合わせ大好きだ!
崎陽軒が今でもシウマイ弁当を売り続け、横浜駅の駅弁の顔であるように、元祖焼売の「博雅」も今でも神奈川大学近くにある工場で自家売り続けている。
横浜高島屋が閉店したために量が必要なくなった今では機械を使わず全て職人の手づつみ、材料は全て国産(・・・・中華民国出身の人の店なのに日本産材料を国産というのも変な感じ)で1日数百パック限定での販売だ。
食べた人の話では豚肉がいっぱいつまった「昔ながらのシウマイ」らしい。
「美味しいシウマイの作り方」などを見てみると日本人の口にはタマネギ多めの甘いシウマイが好まれるとか。
それでも昔ながらのシウマイも美味しく食べられる自信があるぞ!!!
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- もふもふ0304
- 2021/05/20 13:03
- 今夜はシューマイにしようかな…。
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