Nicotto Town



3/29 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2021/03/29
キラキラ
集めた場所 個数
神社広場 5
ニコット山 4

4択  「伊勢丹


キラキラ  「神社広場」 茶屋横の番傘
     ニコット山移動販売車 屋根

4択 オススメの百貨店は? → 伊勢丹


昔は憧れの場所であった百貨店。
高級品がずらずらと並び輝いていたものだ。
・・・はいっても見ているだけで何もかわなかったけど。

それが次々に閉店せざるをえない時代に・・・。
バブルは遠くになりにけり。

選択肢にないが「そごう」の話を。

そごう奈良店がオープンしたのは1989年。
そごうの創始者が奈良県出身者であったことと奈良に本格的なデパートがなかったのでどうしても出店したかったとか。
入ると1階エントランスには川が流れ、その上に浮夢殿(夢殿=法隆寺にて聖徳太子が作り中にこもったと言われている六角形のお堂)が金色に輝いているというものだった。

本来は地下2階、地上11階のものを作る予定だったが、予定は変更される。
地下に何も作れなくなったからだ。
地階が作れないばかりが基礎が足りず地上にも高いものは建てられない。

建設地から遺跡がでてきたからだ。
元々建設地は平城京中心地にかなり近いところで、空き地としてあったこの土地をどういう経路で建物を建てていいようにしたんだ?と地元民は首をかしげていた。
どう考えても巨大建物をたてていいところじゃなかったのだ。

しかしでてきた遺跡はさすがに地元民の想像を越えていた。
長屋王の屋敷跡だったのだ。

長屋王は有力な皇族として次代の天皇候補としてありながら藤原4兄弟の謀で失脚。妻や子供全員と首をくくって自害した、と記録されている人物だ(いや奥さん4人子供16人いるのに全員て・・・)。
有名なのはここからだ。
謀で陥れたという藤原4兄弟がことごとく病で死亡し、都の人は「これは長屋王の呪いだ」と噂したという。
日本において「呪い」という言葉が最初に記録された事例になったのだ。

慌てた時の聖武天皇(大仏建てた人ね)は長屋王の墓を立てて祀るも天変地異は続き、墓を改葬し、ようやく呪いはおさまったという。
今でも長屋王の命日には墓所に宮内庁の役人がやってきて小さいながら有志の人と式を執り行う(行ったことがある)。

なのでそごうが倒れた時、奈良の地元民は「長屋王の呪いだな」と納得したのだった。
ただの放漫経営だけどね!!

でもそごうは、続日本紀の記録でしかなかった長屋王を実在の人物であったと証明してくれた。
長屋王屋敷跡の発掘に携わった人の講義を愚弟は聞いたりすることがあるのだが、限られた時間で少しでも多くの遺物を!と必死だったようだ。
発掘にあてられた時間は3年。
デパート工事が止められていると考えると長い時間のように思えるが、いきなりでた遺跡の発掘調査をするにはかなり短い時間であったようだ(何か出るってわかってたけどさ!)。
しかも広さが・・・広かった。
判明した長屋王の屋敷は3万平方メートル。
個別差もあるが、中学の運動場2個とちょっと分だ。

出土した木簡から長屋王は氷室を所持し夏に冷たいものを食べ、日本各地にある自領から様々な特産品を受け取っていたことが判明している。
まさに百貨店顔負けの品々に囲まれて生活していたのだ!!
いや・・・顔負けで当たり前か。
庶民がちょっとお金を出せば買えるようなものじゃなく、当時の一級のものばかりだったはずだ。

そんな人が自分を貶めた大貴族ならまだしも(実は聖武天皇も藤原系なのでグルだった説、黙認した説がある)、一般人民衆のそごうをたたるかなぁ?と不思議に思う。
実際、そごうはなくなったが、そごうが建てた建物はまだ健在で、その後イトーヨーカドーが、それが撤退した今は専門店が入る店舗としてお客さんが入っている。
聖武天皇の御代に地震などに見舞われた時のように、建物が使えなくなるような事態が起こったら長屋王の呪いだと信じてもいい気がする。

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2021/03/29 12:10
奈良のツタンカーメンか?
今度、長屋王の本を読んでみようかな~。




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