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天下人家康


天下分け目の戦いとされる
関が原の戦いで石田三成軍に勝利し、豊臣秀吉の後継となった
徳川家康が、1603年3月24日『征夷大将軍に就任』しました。
(旧暦慶長8年2月12日)

これにより正式に江戸幕府が開かれることとなり
『江戸時代の始まり』とされております!

ちなみに、徳川家康は征夷大将軍の職をたった2年ほどで息子の秀忠に譲ってます
大御所として駿河(するが)(現:静岡県中部)で権勢は誇っていたものの、将軍在任期間としては、歴代の中で2番目に短い任期となったそうです
(1位は、幕府最後の第15代将軍 徳川慶喜 在任期間は、わずか約1年!
ただしその後、大正時代まで77年と徳川歴代将軍の中でも、最長生きておられます)


徳川家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」(←戦略、性格を表したもので本人が説いたものではおそらくない)
からも伺える忍耐強い性格とされておりますが
血気盛んな青年期は、割と短期でちょっと癇癪(かんしゃく)持ちだったとされ、戦の最中に形勢が悪くなったり、自身の読みがハズれるなどすると軍配団扇(ぐんばいうちわ)や自分の爪を噛んだり、戦況が完全に不利なると激高して馬の鞍(くら)を拳で殴りつける癖があったそう!
そのため、家康が愛用していた軍配団扇は歯型だらけで、拳は腫れてコブだらけだったとかw

幕府を開き将軍となったことで世継ぎのこしはとても大事になってきますが
家康の場合将軍就任時、平均寿命が32歳〜44歳といわれる時代で、すでに62歳!
将軍就任以前から側室も多く、最終的に
正室:2人
継室:1人
側室:20人以上
子供も
10代で 2人
20代で 1人
30代で 4人
40代で 1人
50代で 5人
60代で 3人 認知してない子も入れると数知れず
と、50代以降に8人もの子どもをもうける
まさに『英雄色を好む』を地でいく絶倫性豪ぶりを発揮!
さすが江戸幕府を開いた天下人と言えるでしょう!!!w

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