震災に思う(8)~生きろ
- カテゴリ:日記
- 2021/03/11 18:19:52
あれから10年たった。と思う間もなく先月の地震。
感覚は広くなったけれど、まだ余震の余震はあったりする。。
忘れてはいけない、のだと自然から警告されているように思う。
ここ数日、岩手県の田老市の田老観光ホテルの映像が流れる
ことがあった。旅行で宿泊したことのあるホテルが、あのような
無残な姿を晒していることをとても悲しく思うと同時に、訪問
したとき、沿岸にあった高さ五メートルの防波堤を税金の無駄
だと、友人と笑った自分をあの光景を見るたび、恥じている。
たくさんの命が失われ、傷跡あらわになったところも復興
しつつある。けれど、土地の立地、交通の便、施策の差によって
歴然とした差が出ている現実を知り、気にかけている人が被災地
の外にどのくらいいるだろうか。
経済事情だけではなく、人の心の復興にも差がある。
あの時、少なくとも人のつながりはあった。街のそこここに
あった食べ物を求める人の列に、避難所に。エゴ丸出しで醜い
行いをする人も見受けられたけれど、人々は自らの経験を分か
ち合い、この難局を乗り切ろうと頑張っていたように思う。
けれど今は極一部を除いてそういう姿は表立って見られない。
大半の人たちは普通の生活をみな送っているといえばそうなの
だろうが。何とか人のつながりの希薄感を埋めようと奮闘して
いる人たちはいるのだけれど、いまだ心の傷がいえない人、立ち
上がれない人もいる・・。
自分を除き家族全員が全滅した人、津波の第一波で流された
けれども、第二波の時運よく二階に引き上げてもらって助かった
人、そして学校で津波で亡くなった先生のお子さん、色々な話を
あの当時直接聞くことができたというのは今も財産だと思ってい
るし、一週間弱とは言え、一人で避難所で過ごした経験などは、
今後同じようなことが起きた時に、必ず役に立つ、と思っている。
実際、予め得ていた情報で、比較的援助の手が早く届いた安全な
避難所に職場の人とともに避難できたことはよかったと思って
いる。
どんな災害であっても、時間はよきにつけ、悪しきにつけ風化させる。。
けれど、忘れてはならない。あの時どんなことが起こったか、
その後どれだけ苦しんだ人がいるかということを。
避難してきた人たちや作物に対する根拠のないいじめや風評被害。
生まれてきた子供が遺伝子異常があるだろう、とか、検査を通って
いる米が三分の一の値段で売られていた事実やら、沢山の人が
災害そのものではない人災によって苦しんだ、ということを。
災害は必ず来る。望まなくても必ずくる。いつかはわからない
けれど。
だからこそ、備えをきちんとすること、正しい情報(出所の
確かな)を得ること、そして得た知識を実行するということは
災害、そしてこういう被害の拡大を防ぐために絶対必要なこと
である。
私は何も力のない、市井の人間である。できることは
限られているけれど。。
あの時間を共に過ごした者として、今苦しんでいる人に
エールを。
“ともに”
そして私にできることをこれからも続けていくことを
改めて心に誓う、今日。
山羊のミルクとだしの鍋だって載ってた 新しい知識を教えて頂き感謝しますおおきに 。
それでも日本人は、その幾多の困難に打ち克ってきた。
もちろん今でも災害のあと、生活に苦しむ人たちもいるし、全部忘れちゃえるものではないけどさ、
でも
それでも俺は日本の、そしてこの国に住む人たちの「素晴らしさ」を信じる。
1億人もいれば、中にはヤバイ奴もそりゃいるだろうけど。
でも、俺は、日本という国と、そこに住む日本人を誇りに思う。
住まいが関東だったから、直接の被害はあまり無くTVで
放映される信じがたい光景に言葉もありませんでした。
仙台にいた友人とも連絡は暫く取れず、1週間ほど経ってから
無事の知らせを聞いたのでした。
地震は今後も無くなる事がなく、またいつ起きるかも知れません。
人の繋がり、地震への備えをいつも頭に入れておきたいと思います。