冬から春へ、勝坂遺跡公園など
- カテゴリ:タウン
- 2021/02/14 10:04:13
仮想タウンでキラキラを集めました。
2021/02/14
集めた場所 | 個数 |
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ゲーム広場 | 7 |
ニコット山 | 10 |
久しぶりにここに書く。
新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が長引いている。そんななか、下調べをあまりしないで出かけた博物館は、いったら休館になっていた。2月6日の土曜日のことだ。当たり前といえばそうなのだろう。隣接した公園は入ることが出来たので、ぼんやりと眺める。どこか、気落ちしていたからか、すんなり入ってこない。そこから数キロのところに、「勝坂遺跡公園」がある。こちらは、資料館、博物館的なものがなく、管理棟があるだけで、公園は入れるということなので、足を向ける。
せめてここまで、せっかくここまできたのだから、という思いはあった。もともと公園、屋外の復元住居などがメインのところだから、気落ちすることはないだろうと思った。 だが、結論から先に言うと、やはり気落ちした。管理棟で、わずかだが、勝坂遺跡の出土品やパネル展示があるらしいのだが、入る事が出来なくなっていた。そのことたちが、影を落としていたのだろう。この影は、日常からしのびよる影たちだ。今の現実が、生活に落とした影だ。こうして史跡にくるという、非日常に食い込んでくる影のまえで、後退を余儀なくされる…そこまで思ったかどうか。
案内図にあった文章から。
「国指摘史跡 勝坂遺跡は、縄文時代中期(約4500~5000年前)の代表的な集落跡です。大正15年(1926)に発見された顔面把手付土器などの造形美豊かな土器は、この時代を代表するもので、「勝坂式土器」として広く知られています。
この周辺には、起伏に富んだ自然地形、緑豊かな斜面地の樹林、こんこんと湧き出る泉など、縄文人が長く暮らし続けた豊かな自然環境が今なお残されています。史跡勝坂遺跡公園で、「大自然の中の縄文時代」を感じてみてください」
わたしは勝坂式土器の造形に惹かれている。関東、長野、山梨などの土器、つまり、住んでいるところあたりゆかりのものということもあるだろう。獣のついたもの、土偶のような顔がついたもの、紐状の粘土を貼り付けた立体的な力強い文様、これらに惹かれて、眺めると、そこに「勝坂式土器」と紹介がある。それが多かったので、なにかなじみのある土器の形式名となっていたのだった。
その土器たちの発祥の場所だったので、一度は行ってみたかった。
駐車場はふもとにある感じ。そこから緑の多い崖を昇って公園へ。相模川が近い。水が豊かで高い位置にある。縄文時代の遺跡に必須の場所だなと思う。昇り切ると開けた丘、長細い公園に出た。竪穴住居廃絶後の窪地、敷石住居のレプリカ、そして復元された竪穴住居などが点在している。復元住居は二つあり、笹葺と土葺だった。笹葺きのほうは素材は違うのかも知れないが、見た目は、茅葺きの復元住居と変わらないものだ。土葺のほうは、初めて復元されてものを見た。土を屋根に葺いてと説明にはあったが、見た目は盛って固めた土に穴を掘っている感じだ。土なので保湿性に優れているが、通気性は悪い。夏には住みにくいので、冬に住んでいたのだろうとのことだった。
洞(ほら)とか、穴という言葉を連想する。そういえば、この公園には、おそらくモグラであろう、小さな土の穴があちこちに開いていた。穴のまわりに黒い土が盛られている。晴れた空間のなかで、そのことにどこか優しさをいただいた。
公園の中ではなく、近くに「勝坂式土器発見の地」というのがあるというので、いったん公園から離れた。畑たち、蔵のある大きな家。昔からの営みが感じられる。梅が咲いていた。発見の地は、だが、よく分からなかった。というよりも、碑があるだけで、あとはなにもなかった。そのあたりをうろうろしていたら、「そこは私有地ですよ、入らないでください」と、住民の方に注意され、また公園へ戻った。
管理棟が閉鎖されているのが、残念だったとは、先に書いた。そこを通って、駐車場へ降りてゆく。ホトケノザ、オオイヌノフグリ、タンポポ(おそらくカントウタンポポ)が咲いている。こんな二月の初旬に咲いているなんて。ああ、立春すぎだからなと、すこしばかり影に明るさをいただく。影があれば光も……。
それが先週。一週間経って、これを書いている。数日前、久しぶりに電車に乗って出かけることがあった。梅ヶ丘駅へ。梅ヶ丘はわたしが生まれた病院があるので、子どもの頃に住んでいた隣駅の豪徳寺とともに、思い入れがあるところだ。ここ十年ぐらい、毎年のように出かけていた、せたがや梅まつりは、梅ヶ丘駅が最寄り駅の羽根木公園で開催される。今年、2021年は中止だが、梅たちは咲いている。これが目的ではなかったが、咲いている梅たちに会うことができて、うれしかった。まだ満開ではない。これから、というそのありかたが心にしみた。
平日だった。しずかに愛でる、といった体だし、少ない数ではあったが、そこそこ人が出ている。ロウバイも咲いていた。黄色い蝋のような花。
話が前後する。勝坂遺跡と梅が丘にはさまれたある日、家の近所の川の岸辺で、たぶんネコヤナギだと思うのだが、毛のついた芽に出会った。芽鱗が剥がれて花芽が出たもの。モクレン科のコブシにもふさふさの芽が見られるが、わたしはこの毛におおわれた芽が好きだ。つい触りたくなってしまう。寒さから身を守っている姿に惹かれるのだった。ネコヤナギたちは、二月頃からこの猫の毛のような花芽を表に出す。ああ、春が近いのだと、教えてくれるのだが、それでも寒い季節でもあるのだと、感じさせてくれる、不思議にいとしい花芽なのだった。やさしいふわふわの柔らかさ。
春の暖かさはもうすぐだ。
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