喜劇という芸術
- カテゴリ:日記
- 2020/12/14 16:26:27
小松政夫に続き浅香光代の訃報を聞き、日本の喜劇について書きたくなりました。
中原弓彦の影響を多大に受けたため『お笑い』という語が大嫌いなゆえ、
この日記を「お笑い」カテゴリにしませんでした。喜劇、笑劇、ファースは好き。
ギター弾きながらある一節をふと思い出し、誰か思い出せず2週間が経過し、
煮物してたら思い出しました。澤田隆治の言葉です。え、誰かワカラン?
香川登志雄と組み『てなもんや三度笠』大ヒットさせた日本喜劇界の大御所です。
これも中原弓彦『日本の喜劇人』で知ったことなんですが、好きな話です。
昭和30年代当時『てなもんや』はアバンギャルドすぎて批判が多かった。
その時期を、昭和40年に澤田が回想した文章があります。大意はこんな感じ。
「……三年前に中原さんが私の番組について書いてくださったのを読んで、
東京にも私の狙っているものを分かってくれる人がいるのだと強く励まされ、
見も知らぬその人のために、番組を作っていた時期があるくらいなんです……」
この言葉は売れない不遇な芸術家志望者全てを励ます佳い言葉だと思うのです。
「見も知らぬその人のために」っていう一節に真情が溢れています。
だれかのために黙々と創り続ける刻苦を支えるのは、こういうものでしょう。
喜劇という芸術の歴史は古く、その志は誠に高いものです。
人々を腹の底から笑わせることに喜びを感じる喜劇人の系譜は連綿と続き、
絶えることはないでしょう。あ、私「お笑い」っていうサービス業は嫌いです。
小松政夫の訃報に接した日、何か書こうかと悩んだけど書かなかったのは、
どうも彼は森繁久彌症候群を体現した喜劇人の一人に思えてしまうためです。
芸で残る人ではなく、植木等との関係や、喜劇人協会会長として語られるのでは。
浅香光代は凄い人だと思います。大衆芸能の世界でも、剣劇の分野でも。
生を見たことはないんですが、同世代の女性は影響を強く受けています。
坂東流名取だった我が伯母も大好きで舞台に通い、踊りでは手本としてました。
私が権威嫌いなせいですが、そもそも喜劇=民の為のものという偏見もある。
『更級日記』で、ある晩白拍子達が宿を訪れ、出し物を演じる場面がありますが、
ただ美しいだけでなく、きっと滑稽な演目もあったに違いないと夢想します。
「お笑い」にカテゴライズされている人々にも好みの芸人さんはいます。
電撃ネットワーク、がーまるちょばは世界進出する以前から好きだったし、
大川興業の姿勢や所属する芸人さんも好み。江頭は凄く喜劇人っぽいと思う。
道化の原理、まず自らを他者より低きう卑しき者と定めた後、道化にかかる。
謙虚という語が卑屈と同一視され忌避・批判される現代の人には理解できない。
道化としての喜劇人の姿には、万物に対する謙虚な姿勢があると思うんですが。
梅原猛の卒論が「笑い」だったというのを知ったとき、結構腑に落ちた。
ユーモアの無い哲学はイカンよ、と思っていたのかもしれないと妄想すると、
思想の帰着点には同感しかねる彼に対しても親近感を感じ、つい頬が緩むのです。