Nicotto Town


きいてニコタリーナ


HENSHIN願望

あー!

もう一回くらい御薬園の展示(特に背中のやつ)
見に行くのもいいなあとか思ってたのに
気づいたら会期終わってる!

まなべことアルテマイスターだけでもまた行こうかな。
アルテマイスターの漆で描いた絵の迫力がすごかったんですよ。

ああいう表現って憧れるなあ。かっこいい。

何も買わないで展示だけ見るのちょっと気まずいけどね。



DDH-22ちゃんのヘッドは無事届きまして、
アクリル絵の具と面相筆買ってきて悪戦苦闘してるわけですが、

まだ途中だけど色ムラがどうやっても直らないんですが、

色移りしたら直せないからまつげ一本足すのも怖いんですが、

でもめちゃくちゃかわいい。途中なのにもうかわいい。
わたしでもかわいい子作れるんだ…!って感動してる。

いや造形が最高だからですね。
ありがとう造形師さん。

アイとウィッグもとりあえず注文しまして、
ボディが当座はパラボ45♂しか持ってないんで
(もともとはMiniKaiくん用)
(たぶんそのうち女子の外皮かDDPボディを買う)
首ジョイントも注文しまして、

完成の日をワクワクしながら
日々ちょっとずつメイクを進めてます。



「自分ではない何かになってみたい」というのは
割と普遍的な欲求、らしい。

演劇しかり、コスプレしかり。
ネトゲやSNSなんかで別のキャラクターを演じることしかり。

好きにパーツを選んでいいよとアバターを渡されたら
自分とは違う理想の顔、リアルでは着ない系統の服で
飾りつける人のほうが多いのか? 
多いのかもしれない。

……わっかんねえんだなあ。わたしがおかしいのかな。

いや、小説とかマンガとかアニメとかゲームとかのキャラクターに
感情移入することくらいはあるよ?

あれらもある意味で、自己同一化するからこそ
楽しめるところはあるよね。

でもそういうフィクションを愉しむ時を除いて、
わたしは自分という存在を
自分という存在のままに、ありのままに保持することに
いつもキリキリしてる気がするなあ。
とこないだ気づいたのです。

自分をさらけ出したくない。
(さらけ出すような「普段は見えない裏の自分」の存在を認めたくない?)
自分で認識している「これが自分、ここまでが自分」の
境界を守りたい。脅かされたくない。

そのために、常に「自分とは何か、どこまでが自分か」を
自分に問い続けている。

なんでそんなに
いつもシビアにアイデンティティを脅かされてるような態度なのか、
自分でもよくわからない。

自分、自分、自分。
わたしが「自分」の自家中毒であることは
まあ改めて説明の必要もないと思うけど、
そのへんの副産物なのかなあ。

あと意外と自他境界がわやわやになりやすいことと関係ある?

こんなに自分のことだけが興味の中心なのに、
割と自他境界が混乱して
他人の怒りや悲嘆に引きずられて動揺したり、
他人が自分の思い通りに動かないことに苛立ったり、
ってことが多いんだよ。

だから自分を見失いたくないのかも。

まあ幼稚って言ったらそうなんだけど。
幼稚な自分を認めたくない? 何とかしたい?
もがいてるねえ。もがき続けるんだろうね。



……あっあと追記!

今思いついたんだけど、
わたし「違う自分になってみたい」を
別な形で、外部化して表現することならあるな!?

たとえばドールとか。
物語を、キャラクターを作ることとか。

うーん、単にそういうこと?
わたしは変身願望を外部化するタイプってだけなのかな??




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