故 大野順一教授への手紙
- カテゴリ:日記
- 2020/10/21 17:30:16
『死生観の誕生』を書いた大野順一は、私に優をくれた僅かな教授の一人である。
入学後、コミュ力が高く既にスキーサークルに入っていた現役組の同級生は、
上級生からどの必修科目が楽か、出席をとらないか等、詳しく聞いていた。
浪人組の我々も参考にした。一般教養で出席を取らず試験だけというので、
履修票の一行には大野の日本文芸思想史(だったと思う)を書き入れた。
『死生観の誕生』はその教科書である。けっこう高かったが仕方ない。
初回と、あと一度か二度、麻雀のメンツを待つためだけに大教室の最上段に座った。
大野の容姿も声も覚えていない。ガランとした大教室で、現役組同級生の一人が
最前列近くに座っているのが奇妙だったが、あとでその理由を知った。
現役組には早くから研究室入りを狙う者がいたのである。先輩や助手から、
教授連中の人間関係、派閥、出世の見込みなどをつぶさに聞いているらしい。
くだんの同級生も卒業後に修士/博士課程を狙う者であったようだ。
翌年の春、私の書きなぐった答案がなぜか優、皆勤賞の同級生は良と判明。
出席すらしてない私の答案が優というのに腹を立てた生徒は、
確か大野に文句を言いにいき、のちに別の教授に師事するようになったはず。
大野と面識などなく話したこともない。テーマが中世であったから選んだだけ。
『死生観の誕生』など在学中に読んだ記憶すらないのだから酷い話である。
社会人となりバンドと仕事をかけもちした時期、なぜか読み直した。
文学青年の香りが強い書物であり、ああ、小林秀雄マネたいんだなと思った。
内容は、死と日本人の関係性を決定づけたのが中世の武士階級誕生であり、
殺生を生業とするがゆえに仏教の救済を受けられぬ矛盾が武士だとするもの。
先日『死生観の誕生』『大野順一』を検索したらWikiに名があり、読んで大笑い。
大野順一という大学教授の完全否定である。よほど恨みのあるヤツだな。
Wikiに訂正/削除依頼出すヤツもいないらしく、警告文すらないのも笑える。
脱線するが、学生時代大半のゼミは嫌いであった。歴史と論証が中心だもの。
文学の専門家を創る課程だから、緻密な調査に基づく根拠の確とした歴史認識が
大前提だよな、と反省するのは30歳を過ぎたころのことである。
院を狙う現役学生はみな論拠ありきの立派で退屈な発表をしたものだ。
麻雀に飽きた私や友人が偶々出席し勝手な妄想を述べ立てると、
教授や現役連中から「論拠のないものは学問ではない」と批判された。
後に筒井康隆の『文学部唯野教授』が教科書みたいに読まれる時代も訪れた。
主観/印象批評なんてものはダメ、感想文です。そういうの、学問じゃないの。
この言に当てはめれば『死生観の誕生』を学術書として完全否定するのは正しい。
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さて本題に入る。死者に鞭打つのは他人の自由というものである。
日本の文壇で立原正秋を論じる機会がおそらくもう訪れないのと同様に、
大野順一という学者も、日本文学界から抹殺される。それで宜しい。正しい。
ダニー・ケイ主演の『虹を掴む男』に出てくる
「無意味な人間にも意味のない人生を送る権利があるはずです」という台詞、
中原弓彦の紹介で知り、おお、これは俺の性に合うと思い、暗記した。
β世界線(かな?)で阿万音鈴羽が遺した手紙の末尾にある、
「私の人生は無意味だった」に全シュタゲファンは号泣したはずなのだが、
それは彼女のB世界線の人生が無駄ではなかったと伝える術を持たないからだ。
皮肉でなく、Mr.ブラウンと牧瀬章一の存在はそのひとつであろう。
組織末端の殺し屋と、世界を終わらせるバカ科学者の生みの親というなかれ。
若き日の彼らに何かしら伝え導こうとした『師』としての彼女も、やはり尊い。
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大野先生、覚えてないと思いますが、思想史で優を貰った元学生です。
ご自分についてのWiki、見ましたか? 怒ってるか、諦めてるか、
そもそも無関心か、私はどうでも構わないと思ってますがね。
Wikiの書き手は、時流、体制や権力により与えられる不合理な死というものを、
従容と受け入れる気質を完全否定してるわけです。誠にお説ごもっともです。
この件で腹立てちゃアカンですよ。戦争体験皆無の連中が日本を支えてますから。
アタシ、昭和3~5年生まれの方となぜか仲良くなれるんですよ。
満州から数年かけて引き揚げてきたレンタルビデオ屋の爺さんとか、
マレーシアで片脚なくして戻り極道の世話役やってた電気屋のおっさんとか。
常なるもの、なし。常って平和のことじゃないっすよね。
異人種と日本人を峻別する精神的特質のひとつを、アタシゃ諦念だと思ってます。
メメントモリもキルケゴールも関係ないっす。主観/印象に過ぎないんすから。
過去も未来もなく、運動する小さなベクトルとしての『われ』は、
つねに『いま』しか生きてないんすよ。『死』とはその『いま』の喪失だし、
それはいついかなるときにも訪れうる、厳格で優しい博愛主義者なんすよね。
今回も身内の葬儀やら四十九日やらでドタバタしてるワケなんすが、
つくづく思いますよ。『死』は『いのち』の数だけ存在してて、それは全く、
1μも、他の『死』と無関係な、孤高の存在じゃねえのかな、って感じでして。
生前の先生についてアタシゃ全く知らないんす。学内の地位とか評判とか、
敵とか味方とか、人脈とか趣味とか。それでいい。その方がいいんす。
いちおう大学教授で、曲がりなりにも国文学者だった。アタシは知ってます。
Wiki書いたんじゃねえかってヤツ、お心当たりあります……よね、ですよね。
K大W大転々として教授になったWですかね。中村光夫に鞍替えしたM子ですかね。
ルサンチマンは昇華したんすかね。してないでしょうね。そんなモンです。
しかしここまで恨まれるのも、一つの功績だと思うっすよ。マジに。
そうそう、忘れないうちにお知らせしなきゃ。喜ぶかはわかりませんが。
先生の文章が来年、某県の教員・公務員試験に使われるかもしれないんす。
後輩が教育委員会で採用試験の作成を投げられて困り果てたんすよ。
アタシん家に来て持ってった一冊が『死生観の誕生』だったはずなんすよ。
どうなったのか報告はないんすけどね。これを以て了とされよ。ではそのうち。