Nicotto Town


きいてニコタリーナ


野生の美学者に、俺はなる!

三十路も超えたし、
肌の乾燥とか毛穴とか気になるようになってきたし、
そろそろちゃんとした基礎化粧品を買わないと、かなあと
ドラッグストアで口コミ検索しながら1時間悩んだけど

悩み過ぎて訳が分からなくなってきて
結局いつもと同じ、安いでっかいボトルの化粧水とニベアを
買って帰ってきてしまった。

テスター試し過ぎて、両肘から下がしっとりつやつや。

ちゃんと人並みのお給料稼げるようになったら
ちゃんとしたやつ買いますね……。



さて、昨日明らかになった驚きの我が本心。

お人形に対しての「わたしに所有されないでほしい」。

なんたる傲慢。

所有したいと熱望しながら、所有されないでくれと祈る矛盾。

たぶんね、わたし長いこと親の「所有物」みたいなもんだったから、
今その反動で「一生誰にも所有されたくない」って思ってるから、

「他人もわたしに(わたしなんかに)所有されたくないだろう」

みたいな過度な慮りは確かにある。

(そういう距離感だから他人に対して壁を作ってると思われがちなのもある)

と言うか、普通このくらいの歳になると、
他者(家族とか社会とか)のために人生を使おうと考え始めるじゃないですか。

わたしまだまだそこまで行かないというか、
自分が他者に(良きにつけ悪しきにつけ)影響を与えること自体について
過度に恐れているようなところがある、気がする。

透明になりたい、みたいな。
誰の記憶にも残らず、ひっそり消えたい、みたいな。

(他者のために命を使うという自己実現ができないから、
自我の中心が「己の欲望の指向性」になるのかなあ。
あっここまた新しい議題になるな)

話がちょっと逸れた。

あと、推す対象が主に二次元だったこと
(と二次創作してないこと)もあるのか、

「推し」は手の届かないところにいるもの
(あるいは触れられる実存が存在しないということ)

って感覚もある気がするぞ。

公式の画像で一目惚れ、
他のオーナーさんを探してたくさん画像検索して、
あんなに苦しいほど恋をしたお人形なのに、
手に入った途端に冷めてしまうのは

「手に入ってしまったということは、
わたしの影響下に入ってしまったということは、
この子はわたしが本当に恋した存在ではないのだ」

と倒錯した失望を覚えてしまうから?

手に入った途端に冷めてしまう自分を、
「わたしのもの」というラベルが付いた途端に
どうでもよくなってしまう自分を
なんて冷たい、心のない奴だと思っていたけれど、
(そうでないとは言っていない)
こういうねじれが内在していたのかなあ。



で、思うよね。思うしかないよね。

もう恋した子を手元にお迎えしない方がいいんじゃない?
画像検索で満足してた方がいいんじゃない?

……うーん。うーん!

もうお迎えはしません!って言い切れたらいいんだけど。
そのほうがお互いに(わたしとお人形にとって)幸せかもわからんけど。

わたしが許容できる(むしろ積極的に受け入れたいと唯一思える)「他者」が、
「他者の作った芸術的な何か」だからなあ。
特に人の形をした「何か」。

(そうか、所有したくない、というより、
「他者」として、対話したいのかもしれない。
投影されたわたしと、だけではなく、
お人形を作った人の、美意識とも)

それを欲することをやめるのは、
「他者への興味」を失くせと言ってるようなものというか。

さっきの、「次の議題」だよね。

わたしにとっては、何かを自発的に欲するということ、そのものが
ある意味で「己」を確認する行動になってしまっているということ。

これはもう、「自分が何か他者の役に立って生きていく」
「自分が何かコミュニティを支える人間になって生きていく」
あたりへの恐怖心が消えて、そういう形で自己実現できるようにならないと
「己の指向性」への執念は成仏しないんだろうか?

……あるいは、「己の欲望の指向性」を生業にできたらなあ。
これも何回か言ってるなたぶん。

近い言葉を探すなら、キュレーターかな、もしそういうのになれたら
たぶん、今の自分を活かした上で、最上の生き方ができる気は、する。

んん……「欲望の指向性」を、コントロールするとまでは言わないが
こう、洗練していく、みたいなことって、訓練でできるのかなあ?

そう、欲望の指向性だけで生きているわたしには、
それを、ものをみる目を洗練させていくことが
生命線になるのでは、ないだろうか?

話を戻すと、お人形についても
自分がなぜ、その子を必要と思ったのか徹底的に腑分けして
己のお人形への恋を、指向性を研ぎ澄ませていく、ことで
お迎えすべきかどうかも冷静に判断できるようになる、

かも、知れない。

じゃっかん希望的観測だけど。



なんと言うか、違う思考の道筋を選んだつもりだったけど
何度やってもまた同じ場所に辿り着くなあ。

でもまあ、地面に立てたバットに額をつけてぐるぐる回ってたら
だんだんバットの支点がずれていって、少しずつ移動しているように、

何度も同じことを考えるうちに、
少しずつ考えの支点とか手の届く範囲も変わっていく、
そうやって考えが深まっていく、みたいな気もしている。

できる人から見たらまどろっこしいだろうけど、
そういう方法がわたしには合っているのかも。

時間切れだし、文字数もだいぶ行ったみたいなので今日はここまで。
ありがとうございました。




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