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五飯田八宝菜の語学学習日記


313番:過去の日記2019年9月24日分再掲

2019年9月24日(火)

たとえば、興福寺中金堂で

http://www.kohfukuji.com/property/cultural/095.html

釈迦如来坐像に向かって、


  「ゴータマさん・・・」

と呼びかけたら、どうでしょう?

だめですよね。

でも、古代インドで、お釈迦様がいらしたときは、
普通に周囲の人々は

  「ゴータマさん」
 
と呼びかけていました。

これはどういうことかと言いますと、

古代インド、つまり、仏教がまだブッダ在世のころは、
仏教は、まだ仏教ではなかったということでしょうね。

当時は、お釈迦さまは人々に、よりよい生き方を
説いて回っていた。
仏教は、まだ倫理学とか、道徳の域だったようです。

いつからこの倫理の先生は、宗教の教祖になったか?

それは、仏滅後です。

ブッダが入滅すると、その葬儀は、在家信者たちがとりおこなった。
出家者は、葬儀に関しては、一切をその土地の部族にゆだねた。

そして、その後約百年間、ブッダの教えは守られ、正しく修業され、
悟りを得るものも多くいた・・・

その後、ブッダの教えを確かめ合う結集があって、そのころに、
仏教教団は分裂した。

どう分裂したかといえば、「お金」のことで意見が分かれた。
このころになると、貨幣経済が発達し、
釈迦在世のころと社会の様相はかなり違ってきていた。

「お金」を所持してはいけない、ちゃんと教えを守れ、という
上座部と、いや、そんなことを言っていちゃ、時代にそぐわない、
教えを広めるためには、お金も必要だ、と言った大衆部に分かれた。

そして、一度分裂がなされると、どんどん、分裂が進み、20数部に分裂
した。いわゆる部派仏教である。

一方、ブッダが入滅し、ストゥーパ(仏塔)が建てられると、
その仏塔に参拝する信者が続出した。

仏塔管理をする在家信者の集団は、参拝した信者が仏塔に
布施したお金を管理した。
お金がたまると、働かなくても、仏道修行ができる。
仏塔管理グループは、在家信者の集まりであったが、
出家者と同じか、それ以上に仏道修行に打ち込むことができた。

そのグループは、仏塔崇拝に必要な仏典を編んだ。
いわゆる「大乗仏教」経典である。

時をほぼ同じくして、インドの西方ガンダーラ地方では、
シルクロードを介して、ギリシャ文化が入り、
土地の文化と融合し、新しいガンダーラ文化が生まれ
そこで、ブッダは、仏像となった。

倫理の先生は、ここで「先生」ではなく「如来」となり、

「ゴータマさん」と呼べなくなった。

ブッダの教えは、誰でも悟りを得て苦しみから脱出できる、と説いたのだが、
如来となった日から、誰も悟りを得ることなどできないことになってしまった。

それは、どういうことかといえば、仏教が後の世に伝わるために
必要な保存料だった。神格化されたからこそ、今日まで伝わって来た。

でなければ、ブッダの教えは、ただ単なる「倫理生活」で終わってしまって、
埋没していたかもしれない。

神格化され、荘厳されたからこそ、今日まで伝わった。
そういうことだな。

で、私たちは、この神格化された仏教を正しく味わうためには、
荘厳化されたクルミのような殻を一度割って、中身を味わうことが大切だ。

そして中味を味わったら、また神格の包装をして、後世に伝えるのがいい。

中味はどうだったか?

中味は、出離による苦しみからの解放。
心を常に安定させること。

そういうことかも。
そのためにブッダは、如来坐像になって(化けて)
衆生を驚かせ、導いているのだろう。
「ゴータマさん」なんて呼ばせていたら、なめられてしまう。






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