Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


4:フランス語のおべんきょの時間だよ④

2月25日(火)


「ブッダのことば」を読んでみると、すっかり煩悩を捨てた僧侶の
すばらしいことが、いっぱい書いてあります。

でも、どのようにして「煩悩」を捨てるのかについては、何も
書かれていません。

たとえば、お金儲けできたら、すばらしいことが
いっぱいあるでしょうけど、
どのようにしたら、儲かるかについては、誰も言ってくれない。

結局、肝心かなめのところは、自分ひとりで
生み出さなければならない。

たとえば、出産する女性は、旦那に半分出産してもらうわけにはいかない。
自分でする。産婆さんは「がんばれ」というだけ。
生まれてきた赤ちゃんは取り上げてくれるけど・・・

金もうけも、悟りへの道も。出産も。
生まれてくる子も、ひとりで生まれてこなくてはならない。

人は、大事なことは、自分ひとりですることになる。


漢文のお経文がありがたいといっても、
残念ながら、読んでも、意味などわかるはずもありません。

仏教が我が国に伝わって以来、修行者はあまたしゅつらいしたが、
第二のブッダはいまだ現れていない。

たとえば、料理の本があるからと言って、
美味しい料理が作れるというわけにはいかない。

まして、こちら、仏教本は、意味のわからない漢文だ。
これをチンプンかんぶんという。

でもありがたいことに、お経文は、
今では岩波文庫で日本語訳で読める。

「法華経」には崖から落ちていく人が、

 「南無観世音菩薩」

と叫ぶと、空中に浮かぶと書かれています。

でも、それは物理的にありえません。
そんなことで空中に浮かんだら、ヒコーキ事故で人は
全員助かります。

ここでいう、「空中に浮かぶ」 というのは
この世のものに、一切囚われがなくなるということだと思います。

深く、菩薩(観音様でなくてもいいっしょ。虚空蔵菩薩様でも、薬王菩薩様でもOK)
様に帰依すれば、煩悩を断ち切ることができる、という意味解釈でよいと思います。

「法華経」によると、この経典を祀って供養せよとあります。
ということは、「法華経」そのものが、菩薩様の代わりをしてあげる、と
言っているようなものだ。

なので、煩悩は菩薩様の代わりに、その経典そのものを
おまつりして、帰依すればよい、ということになる。

それで、南無妙法蓮華経 と叫ぶ。一応、筋は通っています。
この経典を後の世に伝えるため、古代インド人たちが工夫を凝らした
ということが見て取れます。


その古代インドでは、洞窟の中で、瞑想し修行したといいます。
夜中に、トラが叫ぶと、恐怖でおののいたといいます。

修行者はみんな、この恐怖と戦ってきた。
今の日本では、トラは動物園の檻の中で
おとなしくしています。

でも見に行くなら、トラではなく、アルパカを見に行きたいな。


さて、フランス語のお時間にしましょ。

Voici un livre.
ヴォアスィ アン リーブル

ここに本があります。 


Voici ma pomme.
ヴォアスィ マ ポーム

ここに私のりんごがあります。


Voici (ヴォアスィ)は

ここに~があります。という単語です。

Voici のあとに、人でも、物でも置いて大丈夫です。


Voici une fille.
ヴォアスィ ユヌ フィーユ

ここに女の子がいます。


日本語では、

人: ~がいる
物: ~がある

と使い分けをしますが、
フランス語の voici は、人でもモノでも voici です。

次に voilà (ヴォアラ)を 覚えましょう。voilà は

あそこに~があります(います) という意味です。


Voilà un chat.
ヴォアラ アンシャ

あそこにネコがいます。

 ヾ(@^▽^@)ノ

またね
ゴタぴょん




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