Nicotto Town



竹内まりあの「いのちの歌」をきいて


竹内まりあの「いのちの歌」をきいて
いま命を絶とうとしている人に私も生きているんだから
貴方もいきてとじぶんひとりじゃどうにもならないなら
誰かに助けをもとめてと言いたい。

其れは先生じゃないのかも知れない親でも無いのかも知れない。
友達でも無いのかも知れない。
何処かに叔母さんかも知れない。昔の友人かも知れない。
或いは命の電話かも知れない。
弁護士だって調べて言って相談に乗って貰って良いんだよ。
お金が無くても相談に乗ってくれるところを紹介して下さいでも。
死ぬ前に区役所の相談課でも兎に角どこかに逃げ込もう。

私は小さい時に父を亡くした。

祖母(母に取って姑)は侍の家出身か何かは知らないが非常に厳しい人だった。

母は其のせいなのかは解らないが帯状疱疹が首の少し下から下腹にかけて
大きなのが出来た。

其れでも下働きの様に働き続けた。

ある日皮むき器のピーラーの前身の様な取っ手が木でできた奴を買って来た。
秋に大量の大根の漬物を付ける。
其の大根の皮むきが楽になると祖母に説明した。

祖母は何でも怠けようとして楽しようとする其の精神が間違っていると
其れを使う事を禁じた。

当時小5の私は其れを使って見て自分は大根の皮も包丁で向けないが
簡単に向ける其れを試しに使って見て驚いた。

そして包丁で大根の皮をむいている祖母の隣で
其れで大根の皮をむいてやった。

暫くして祖母が其れを使って大根の皮をむいていた。

私は祖母に使うな!と大声で行った。

使うなら母に誤ってからつかえ!と、絶対に其れを使うな!と
泣いて抗議した。

で、祖母は母に誤ったのかと言うとそうでは無く
祖母に食って掛かった子を育だてた。
母の教育が悪いからこんな子が出来たと
母が責められた。

帯状疱疹が治ると今度は母は十円禿が出来た。

表に出る時は夏でもスカーフで頭を隠した。

どうして再婚しないのかと母に聞いた。

お前達を置いて行けないからと母は行った。

商店を営んでいたので此処に居れば私達が食べるのに困らないからと言った。

商店を経営しながら夕食も作って中高とお弁当も作ってくれた。

其の商店が私が高2の時にふあたをだした(潰れた)。

東京の大学に行く事は諦めた。

人生は色々あるんだよ。

描き切れないほどの挫折を味わって来た。

拓銀の株は紙切れになった。

売る様にと家族に言われていたが当時の大蔵大臣がテレビで「都銀は潰さない」と
行った。

いよいよ拓銀の株を売りに行こうとしていた時である。

ほら売らなくて良かったじゃないと思った。

だが拓銀は潰れた。

家族はとっくに売っていると思って居た。

家族の老後の糧だった。
私は家族の未来を紙切れにして無くしてしまった。

死のうと思ったが死にきれなかった。
生きていてくれただけでいいと家族は言った。

バブルの時もずっと私は働いていた。
子供はかぎっ子であった。

そうやって働いて国民年金おさめていたし
正社員になった所は厚生年金もちゃんと引かれていた。

ガラケー時代に動画が取れて送れる時代になった。

その頃新潟地震で土砂崩れに埋まった母子を捜しにヘリを出して欲しいと
言っている父親の姿が在った。

中々ヘリは出せない。

其の時に私はヤマハのおもちゃのヘリにビデオカメラを付けて
近くまで行って飛ばして見れば良いのにと思った。

もっとこの時代に其れが簡単に出来ないかと思った。
地方の特許庁に其れをやっている会社が無いかを調べに行った。

それ以前に自分の責任で失った株の金額を取り戻そうと
ゲーム会社に色々なアイディアを送っていた。

取り戻す為に一攫千金を狙ったアイディアを色々考えていて
地方の特許庁に此のアイディアはもう特許を取られているかを
調べに行っていた。

だからヘリコプターの形をしてなくてもヘリのプロベラの論理で出来た物に
CDカメラを付けて其れをリモコンで操作して画像をパソコンに送る様にすれば
良いと思った。

其れは何処も特許を取って無かった。
先ず「実用新案で特許」を取ると色々な企業に其れを送って
作って欲しいとメールを出した。
其の過程で消防署を含めて現場は其れが出来るのを
本当に待っているのが解った。

だがどこの企業からも返事は来なかった。

そして更新の時期が来た。

其の時に何と「実用新案の特許」だけが値段が倍になり
期間が半分に減った。

まるで私の更新時期に合わせた様だった。

現場がどれだけ待っているのかが其の時は実感していた。
現場は其れがどれだけあれば良いのかが一番理解していた。

更新してもまた同じ様にどこの企業も返答はくれないだろう。

其れよりも何か可笑しい。
何年も引き延ばしても製品が出来ないし現場は此れだけ待っている。

此れは必要な物だと言う事は理解できているはずだ。

何処かで何かが立ちはだかっている。
そうだとすると特許庁を動かせる物が相手だ。
其れと何年闘えるのか。
その間待っている現場に此れが行かないのか。
その間に救える命が救えないのか!

私は更新の手続きをしなかった。
可笑しな事に特許庁から更新をしないのかと確認の電話が来た。
いちいちそんな電話が来る訳がない。
特許庁もグルだと確信した。
其の電話で私は敵の大きさを感じた。
そして更新しない事を妙に冷静に伝えた。

直ぐにとっくに其れが製品になって「ドローン」と言う名前を付けられて
アメリカ製と中国製が発売された。

とっくに製品が出来上がって居たのだ。

4つもプロペラが必要だと其の研究もされてあの形になった。

私のイメージではヘリコプターは平衡に二つで動かしている。

私は縦に二つで作用反作用のヘリの原理で動かせるイメージだった。

唯私が書いたのはヘリコプターのプラペラの様な奴と其の辺りは
作った人に任せた。

重要なのはCDカメラで其の画像がパソコンで見れると言う事と
リモコンで操作すると言う事と着地できる足を付ける事だった。

アメリカか中国かどっちが最初に作ったのかは解らない。
どちらかが私のアイディアを盗んでどちらかが研究をして製品を作って
どちらかが其れを更に盗んだのだろう。

日本のどっかの企業が私と契約をして作ってくれていたら
拓銀の株で無くした分は取り戻せたのにと思う。

日本の企業と更に総務省とどこかの国に私はやられたのだ。

日本は自国民も自国の企業の利益も守ろうとしないのかと
呆れた。

母が無くなって色々な相続をした。

其の中に当時の富士銀行、今のみずほ銀行の預金が在った。
勿論それもきちん申告して相続税を経理士さんを雇って払った。

其の母の預金を自分名義にする時に妹の実印が必要だと言われた。
妹は地方に嫁いでいたのでお互いに都合の付く日で良いかと聞くと
当時の富士銀行の銀行員は相続は機嫌が無いので一年でも二年でも
自分の都合の良い時で良いと言う。

私は母がどんな思いで貯めたかと思うと自分が本当に困った時にと
其れを使おうと思った。

国民年金も厚生年金も不明年金に引っかかってスズメの涙ほどのお金しか
年金が出ない。

今こそ母の預金を使おうとみずほ銀行へ行った。

何とみずほ銀行は当時の紙媒体の資料が無いので払えないと言う。
詰り其の母の預金は在った形跡がないと言うのだ。

其れをちゃんと申告して税理士さんも確認をして
贈与税を払っているのにである。

転んで足は悪くなるし、まともに動けない体になった。

こんな目に合わされてこんな体になって目も耳も悪くなって
歯も悪くなって物が噛みきれなくなった。

其れでも僅かなお金で細々と私は生きている。

何で手足も動いて若い体の貴方が命を絶つのだ。




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