Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


ゴタの日記2014年4月29日(火)3

4月29日(火)3

【祗園・白川】


   巽橋にて、写真。新橋通りを散策。
   花見小路へ。休日なので、マイカー規制。
     

     「すみません。通して下さい。関係車両です。」

 
   意味不明な発言で、ゴマ化して、ガードマンの前を素通りして進入。
   真似したら、あかんよ。(報道と書いた腕章を持参することネ。)
     
      (何の報道やねん。) (ゴタの日記の取材じゃ~)
          
         
 


      <strong></strong><del></del>


     【五重塔】

   お客様から、リクエスト。

   Would you take us to a five -story pagoda ?    

    「五重塔が見とうござんす。」


ゴタ、in accordance with the request. (応えて曰く)、

   Yes. There is one around here.
   It's a five-story pagoda Prince Shotoku
   built 200 years before the establishment of
   the old Heian-Kyo capital.
   ありまっせ。この近所に。聖徳太子の建てた五重塔ですわ。
    平安京造営の200年前でっせ。


   高台寺参道の信号で左折。そして、この辺りなら、どこでもいい。
   駐車場を探す。

   すぐ左にありました。駐車。
   おひとりだけ、疲れた、とのことで、車に残ります。
   ゴタ、3人をお連れして、法観寺(ほうかんじ)の五重塔まで歩きます。

   五重塔は592年に聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、
   その際仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという。

   以上が寺の伝承にであるが、
   この聖徳太子創建という説には、いろいろ諸説あり、
   有力なところでは、朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として
   八坂氏が創建したという見方が有力である。

   境内から出土する瓦の様式から、
   創建は7世紀にさかのぼるのは、確かとのことである。

     
   五重塔は平安時代末期の治承3年(1179年)に火災で焼失。
   その後、建久2年(1191年)源頼朝の援助により再建された。
    
   さらに、1291年の焼失し、(1309年)後宇多天皇の援助で再建。
   そして、1436年に焼失。

   現存する五重塔は15世紀の再建である。
   (1440年、足利義教の援助を受け再建)

   拝観時間は、10:00~16:00。ただし、受付係の都合で、
   早く閉まることがある。

   拝観日、休館日は、寺院の都合による。
   なもので、いつ見学できるかは、誰にもわからない。

   これだけは言える。見学しようと思って、ここに来て、
   見学できた人は、ラッキーである。

   塔の内部の階段は、とても、急です。登りたい女性の方は、
   ハイヒールをやめて、べた靴でどうぞ。

   もちろん、短いスカートもだめ。 
   だって見えるもの。
   (誰が見るの?)
   (おまはんや!)
   (あ~れ~)    
   (このドど変態め。)

   本日は、雨。受付係がお休みのためか、閉門休館。

   ここのお寺は、儲ける気はないので、こういう感じです。
      
   

   つづく
   ゴタ 




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