マモ、躁状態~うつへ
- カテゴリ:人生
- 2019/09/12 16:26:54
1989年も終わろうとした頃、最強のストレスがやってきた。新機種に4機種、マイナーチェンジに4機種を抱えていたところに、設計ミスによるクレーム対応です。
「マモく~ン、なんか変なんだよね~。150時間のエイジングの後、電圧が落ちるんだー」と、検査課係長からの電話が12/26のこと。この年の瀬に、何?設計変更を伴う価格低減(VA)製品のトラブルの始まりです。
早速、得意先へ報告をしたところ、VA前の旧品と差し替えで対応することになったものの、本来クレーム対応は管理職が当たるものであるけれど、頼みの課長が得意先課長とドンパチで、窓口はマモ一人となってしまった。
これは、“クレームじゃない”と言い聞かせながら、対応に当たるも新機種の設計打ち合わせに日程や、量産機種の納期管理、最悪は、製品の改造のほか修理品の納期・価格交渉が山のようにあふれ出したこと。
「窓口はマモさんなんだから、しっかりやってもらわないと・・・、ほかに誰に言えばやってもらえるの?もう、マモさんは信用できないよね。」と、はっきり言われるとへたる。
そんなこんなで、徐々に出社拒否の始まりです。会社へ行くふりをして、自室へこもったり、出社しても出荷指示等最低限の仕事のみをする。カヨさんとのデートなくなり、バレンタインも自席でボーットしているところへカヨさんが来てネクタイを渡されるだけ、会話もほとんどせず…。この時、うつに気付く人もいませんし、“うつ”などメジャーでなかった時代でした。
3月には、無断欠勤も頻繁になり、何とか出社させようと、先輩たちもいろいろ工夫をしてくれて…。極めつきは、集金。結婚式の前々日に集金を頼まれ、そのままサウナへ一晩。結婚式前日に疾走して、社会的問題にしてしまった。何とか結婚式を済ませたものの、心境に変化もなく、開けて月曜日には震えが来て、診療所へ。正式にうつ状態と診断され、長期療養となりました。
波乱は続く…。
私は、10年前に不眠で心療内科に行き、その後「軽いうつ」と診断されました
それ以前に、義弟(末妹の旦那)がパニック障害、その妹が不安障害で、
数年受診していたクリニックに行きました
すぐ下の妹も、「うつ」で、すでに通院していました
現在の私は、「不安障害」で、4種類6錠の薬を処方されています
減薬が始まっています
30年前は、心の病に対する偏見が、今より、ずっとずっと酷かったから、
辛い日々だったと推察いたします