ゴタの日記 6月26日(水)1
- カテゴリ:日記
- 2019/07/30 03:49:42
6月26日(水) 1
ACUNAさんの観光2日目。
きょうは、神戸観光です。
【ファミマ前出発】
午前8時30分。昨日と同じく、午前8時30分出発です。
阿波座から阪神高速に上がるつもりでしたが、ナビは、西長堀入り口をさしています。
3号線に出るつもりだから、どちらでもいいのですが、一応、ナビの言う通り。
菊正宗酒造記念館が最初の立ち寄り地。
3号線でいけば魚崎で降りる。
5号線だと、魚崎浜で降りる。
どちらのコースでも、大差はありません。
【菊正宗記念館】
係員: 来る前日までに、予約の電話をくださいよ。必ず。
ゴタ: はい。
来た早々しかられた。まあ入場無料の上、利き酒もやってくれるのだから、
少々えらそうにされても我慢しましょう。
【教訓】人は大きく、己は小さく。
腹を立てず
心は丸く
https://blogs.yahoo.co.jp/tssnq902/GALLERY/show_image_v2.html?id=https%3A%2F%2Fblog-001.west.edge.storage-yahoo.jp%2Fres%2Fblog-22-29%2Ftssnq902%2Ffolder%2F1247975%2F74%2F38318674%2Fimg_0%3F1196775441&i=1
http://blog-imgs-46.fc2.com/f/a/c/facepag/1476624_568587566556469_216874763_n.jpg
http://stat.ameba.jp/user_images/20121105/19/icg15856/13/42/j/o0800060012272133976.jpg
無料試飲が終わると、半纏(法被)を無料で貸してくれる写真撮影コーナーがあります。
半纏と襦袢の違いについては、よくわからなかったが、今、ウィキペディア
を見てみると、
半纏には、羽織りあるような、わきに襠 (まち) はない。
丈の短い上着。
法被: 民間のものとして発達してきたものではなく、
江戸時代、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、
それが明治時代になっても官員などの生活の中に受け継がれてきた。
袢纏: 袢纏は逆に庶民・町民・職人を中心に日常生活で着用された。
江戸時代に一般庶民は羽織禁止令が出たため、
襟を返す羽織(当時の法被も襟を返して着用)
の代わりに法被が形を変え、その末端で袢纏との混同が始まったようだ。
なんだか、クイズ番組の材料になりそうな説明が続いています。
羽織と法被の違いを説明しなさい、とか。
答
羽織と法被では襟と袖が異なる。
襟を折り返すのが羽織で返さないのが法被、
羽織の袖は袂(たもと)袖となり、
法被は筒袖と違いがはっきりしている。
ということだそうです。
http://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/floor.html
ACUNAさんの観光2日目。
きょうは、神戸観光です。
【ファミマ前出発】
午前8時30分。昨日と同じく、午前8時30分出発です。
阿波座から阪神高速に上がるつもりでしたが、ナビは、西長堀入り口をさしています。
3号線に出るつもりだから、どちらでもいいのですが、一応、ナビの言う通り。
菊正宗酒造記念館が最初の立ち寄り地。
3号線でいけば魚崎で降りる。
5号線だと、魚崎浜で降りる。
どちらのコースでも、大差はありません。
【菊正宗記念館】
係員: 来る前日までに、予約の電話をくださいよ。必ず。
ゴタ: はい。
来た早々しかられた。まあ入場無料の上、利き酒もやってくれるのだから、
少々えらそうにされても我慢しましょう。
【教訓】人は大きく、己は小さく。
腹を立てず
心は丸く
https://blogs.yahoo.co.jp/tssnq902/GALLERY/show_image_v2.html?id=https%3A%2F%2Fblog-001.west.edge.storage-yahoo.jp%2Fres%2Fblog-22-29%2Ftssnq902%2Ffolder%2F1247975%2F74%2F38318674%2Fimg_0%3F1196775441&i=1
http://blog-imgs-46.fc2.com/f/a/c/facepag/1476624_568587566556469_216874763_n.jpg
http://stat.ameba.jp/user_images/20121105/19/icg15856/13/42/j/o0800060012272133976.jpg
無料試飲が終わると、半纏(法被)を無料で貸してくれる写真撮影コーナーがあります。
半纏と襦袢の違いについては、よくわからなかったが、今、ウィキペディア
を見てみると、
半纏には、羽織りあるような、わきに襠 (まち) はない。
丈の短い上着。
法被: 民間のものとして発達してきたものではなく、
江戸時代、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、
それが明治時代になっても官員などの生活の中に受け継がれてきた。
袢纏: 袢纏は逆に庶民・町民・職人を中心に日常生活で着用された。
江戸時代に一般庶民は羽織禁止令が出たため、
襟を返す羽織(当時の法被も襟を返して着用)
の代わりに法被が形を変え、その末端で袢纏との混同が始まったようだ。
なんだか、クイズ番組の材料になりそうな説明が続いています。
羽織と法被の違いを説明しなさい、とか。
答
羽織と法被では襟と袖が異なる。
襟を折り返すのが羽織で返さないのが法被、
羽織の袖は袂(たもと)袖となり、
法被は筒袖と違いがはっきりしている。
ということだそうです。
http://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/floor.html