ゴタの日記 6月6日(木)6
- カテゴリ:日記
- 2019/07/04 07:09:41
6月6日(木)6
【金閣寺】
ラーメンを食べたら、金閣寺です。
きょうは、一応、大型自動車に分類される車に乗っています。
ということは、着なく路の駐車場は、バス駐車場に入れるかも。
そこで、バス駐車場に突っ込もうとしたら、
ガードマン: だめだめ、普通車は、向うの駐車場に入って!
ゴタ : 何言ってんだ。この車は、バスだぞ。
ガードマン: ほう、たしかに、2ナンバーやな。
よっしゃ。ええやろ。入っても。
ゴタ : サンキュー
【教訓】 山椒は小粒でもありがたい。
金閣寺は、1950年に一度、なくなっている。
ラーメンを食べたら、金閣寺です。
きょうは、一応、大型自動車に分類される車に乗っています。
ということは、着なく路の駐車場は、バス駐車場に入れるかも。
そこで、バス駐車場に突っ込もうとしたら、
ガードマン: だめだめ、普通車は、向うの駐車場に入って!
ゴタ : 何言ってんだ。この車は、バスだぞ。
ガードマン: ほう、たしかに、2ナンバーやな。
よっしゃ。ええやろ。入っても。
ゴタ : サンキュー
【教訓】 山椒は小粒でもありがたい。
金閣寺は、1950年に一度、なくなっている。
火災による喪失だ。
人為的火災・・・つまり放火による消失なので、もったいないことだった。
ただ、ありがたいことに、金閣寺には、精密な設計図と記録が
本寺、相国寺にあったので、まったく同じ金閣寺が再現建築された。
なぜ、14世紀に建てられた金閣寺にそのような設計図が残っていたか?
それは、金閣寺が消失する45年前、1904年~1906年に
解体修理されていたからだ。その時に綿密な記録が取られていた。
☺
創建者、義満は、花の御所と呼ばれた「室町殿」を継嗣(次の将軍)
の義持に譲り、この金閣寺に移り住んだ。
ところで、その「花の御所」とは、どこにあったのか?
気になるところ。
古寺巡礼京都21「金閣寺」によると、
東西は、烏丸通りから室町通り、
南北は、上立売通りから今出川通り(当時は北小路通り)までの
エリアで、今の同志社女子大学の寒梅館、大聖寺辺りになる。
(思ったほど、大きくはなかった)
さて、その花の御所から金閣寺に引っ越して、義満は
北山文化に花を咲かせた。舞、能楽、猿楽、連歌、白拍子、
舟遊び・・・38歳で出家したのちも、こんな風流な暮らしぶりだった。
(全然、出家ではないと思うが・・・)