ゴタの日記 6月6日(木)2
- カテゴリ:日記
- 2019/06/29 14:07:52
6月6日(木)2
【8時20分、スタート】
予定より、25分早くスタート。
森之宮から、阪神高速に上がります。
森之宮にから高速に上がるときはいつも、
大阪城の説明をすることにしています。
が
今回のお客様は、リピーターが50%のつわもの。
大阪城と反対方向の広場にちゅいて。聞いてこられます。
お客様 : What's that elevated square for ?
It's something like a performance stage.
なんだって、あそこ、ステージんみたいなもんがあるの?
ゴタ : That's the ruins site of old palace called Naniwa Palace.
難波の宮跡です。
お客様 : But you said last time that the old capitals were laid
in Kyoto and in Nara, both in the 8th century.
You didn't referred to the Palace in Osaka.
でも、あんた、前回(のガイドで)京都と奈良に
都が置かれたって言ってたじゃない?
大阪の都のことは聞いていないよ。
【忠告】 リピーターは、手ごわいぞ~
難波の宮は、古墳時代(浪速高津の宮)、それから時代が下がって
飛鳥時代、そして、奈良時代、計3回、この大阪が都になっています。
難波高津の宮(なにわたかつのみや)は、仁徳天皇が開いた都。
場所は今のこの難波宮跡とされていますが、まだ専門的(学問的)に決定は
できていないとのことです。
それは置いておいて、乙巳の変(蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が襲った事件)
以降、孝徳天皇は都をここ、難波に移した。大化の改新は、この難波の宮で
行われた。
孝徳天皇のとき、一度火事で宮室が焼失したらしいのですが、天武天皇のとき、
宮室は建直されたとのことです。
この7世紀の難波の宮を 「前期難波の宮」 と言うのだそうです。
そして、聖武天皇のとき(奈良時代)にここに移された都を
「後期難波の宮」と言っているのだそうです。
【さらに】
説明の途中。横割りで質問が飛んできます。
質問者: Mr. Gota. What's that monument ?
Egyptian Obelisk ?
ゴタはん、あれ何や?
エジプトのオベリスクか?
我らのバスの進行方向左側の席にの人は、大阪城の方角。
そこには、確かに、オベリスクのような謎の塔が建っています。
これは、「教育塔」といって、死者を悼むと同時に、このような災害が
二度と起きないようにと願いを込めて建てられたもの。
でも、1961年に二度目の室戸台風が来ましたけどネ。
ゴタ : In 1934, a big typhoon hit Osaka.
That's what we call Muroto Typhoon.
A lot of primary school students and their teachers
died.
昭和9年の室戸台風で多くの人が死んだんだ。
児童や先生がね。
質問者 : Oh that's too bad.
How many people died ?
そうなんだ。
で、何人亡くなったの?
ゴタ : Sorry I'm not very sure.
わかりません。
みなさん: Ha ha ha ha ha。You're good guide.
ははは. あんた、ええガイドや。
予定より、25分早くスタート。
森之宮から、阪神高速に上がります。
森之宮にから高速に上がるときはいつも、
大阪城の説明をすることにしています。
が
今回のお客様は、リピーターが50%のつわもの。
大阪城と反対方向の広場にちゅいて。聞いてこられます。
お客様 : What's that elevated square for ?
It's something like a performance stage.
なんだって、あそこ、ステージんみたいなもんがあるの?
ゴタ : That's the ruins site of old palace called Naniwa Palace.
難波の宮跡です。
お客様 : But you said last time that the old capitals were laid
in Kyoto and in Nara, both in the 8th century.
You didn't referred to the Palace in Osaka.
でも、あんた、前回(のガイドで)京都と奈良に
都が置かれたって言ってたじゃない?
大阪の都のことは聞いていないよ。
【忠告】 リピーターは、手ごわいぞ~
難波の宮は、古墳時代(浪速高津の宮)、それから時代が下がって
飛鳥時代、そして、奈良時代、計3回、この大阪が都になっています。
難波高津の宮(なにわたかつのみや)は、仁徳天皇が開いた都。
場所は今のこの難波宮跡とされていますが、まだ専門的(学問的)に決定は
できていないとのことです。
それは置いておいて、乙巳の変(蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が襲った事件)
以降、孝徳天皇は都をここ、難波に移した。大化の改新は、この難波の宮で
行われた。
孝徳天皇のとき、一度火事で宮室が焼失したらしいのですが、天武天皇のとき、
宮室は建直されたとのことです。
この7世紀の難波の宮を 「前期難波の宮」 と言うのだそうです。
そして、聖武天皇のとき(奈良時代)にここに移された都を
「後期難波の宮」と言っているのだそうです。
【さらに】
説明の途中。横割りで質問が飛んできます。
質問者: Mr. Gota. What's that monument ?
Egyptian Obelisk ?
ゴタはん、あれ何や?
エジプトのオベリスクか?
我らのバスの進行方向左側の席にの人は、大阪城の方角。
そこには、確かに、オベリスクのような謎の塔が建っています。
これは、「教育塔」といって、死者を悼むと同時に、このような災害が
二度と起きないようにと願いを込めて建てられたもの。
でも、1961年に二度目の室戸台風が来ましたけどネ。
ゴタ : In 1934, a big typhoon hit Osaka.
That's what we call Muroto Typhoon.
A lot of primary school students and their teachers
died.
昭和9年の室戸台風で多くの人が死んだんだ。
児童や先生がね。
質問者 : Oh that's too bad.
How many people died ?
そうなんだ。
で、何人亡くなったの?
ゴタ : Sorry I'm not very sure.
わかりません。
みなさん: Ha ha ha ha ha。You're good guide.
ははは. あんた、ええガイドや。
つづく