ゴタぴょんの日記 2019年 4月4日(木)8
- カテゴリ:日記
- 2019/05/04 21:51:11
4月4日(木) 8
東大寺がいつ建立されたかという質問には、いつも窮するが、
ブリタニカ百科によると、746年に金鍾寺を大改修して名を東大寺にしたと
いう。
大仏開眼の752年と答えておくのが無難。
この年に、良弁が初代東大寺の別当に就任したからだ。
別当というのは別に当たる・・つまり、兼業の住職だが、東大寺と
どことを兼業していたかは、テキストには書かれていない。
あるいは、橘諸兄や行基などと住職を兼業していたのかもしれない。
それで、1180年に東大寺は、全焼する。
平重衡による焼き討ちだ。清盛が命じたのか、
清盛はその翌年、高熱にうなされながら、逝去する。
東大寺南大門は、焼き討ちから19年後、1199年に再建。
門は、1200年に完成。その3年後、運慶快慶らによる金剛力士像が
でき門の左右に安置された。
四天王像を見て、
「これは誰?」
「広目天である。」
四天王は、地蔵小唄と覚える。
ジ・ゾウ・コウ・タ
持国天、増長天、広目天、多聞天・・
これに、マージャンのトン(東)・ナン(南)・シャー(西)・ペー(北)を
振り付ける。
東=持国天
南=増長天
西=広目天
北=多聞天
ところで、持国天と増長天は、このお堂の中ではなく、
さっき、正面の門(開かずの門)で見た左右に立っております。
東を守護する天は、東南角に置かれます。
南の守護は、南西角。
西の守りは、北西角、そして、北の守護神は、北東角。
広目天ーーーーーーー多聞天
| |
| 仏 |
| |
増長天-------持国天
こんな感じです。
四天王は塑像です。よく聞かれるのは、
「あの広目天がもっている筆と巻物ですが、
あの巻物には何が書かれているのですか?」
知らなーい。とは言えないのがガイド。
そこで、
「みなさんの所業をすべて書き入れているのですよ
そして、巻物は定期的に閻魔法王庁に送られます。」
とええかげんなことを言っているゴタこそ、その名前を記されて
閻魔さんのもとに送られているかも・・・・ 怖えー。
【昼食】
HISの行程表では、このあと「ならまち散歩」と
昼食(場所は自由)となっている。
では、「ならまち」で食事をすればいいじゃない。ということで向かった。
県庁東の信号を南へ取って169号線へ。
169号線5つ目の信号機(紀寺の交差点)を右折(西へ)。
4つ目の信号機(北京終町)を右折。この道は狭いのでご注意。
ジャンボタクシーでぎりぎり通れる幅。
マイクロバスでは絶対無理。
マイクロバスのときは、奈良ホテルでランチをしましょう。
さて、そのぎりぎり通れる道路をドライバーさんに
気を使いながら、我慢して走ってもらって約3分、
左手に「あしびの郷」
その駐車場は店の手前です。
「入ってもらえます?」
ドライバーさんは、真剣です。
「入れますか?」
「大丈夫です。
ジャンボタクシーでよく来る店です。」
でも大事を取って、ビル内のスペースには
入れずに、手前の駐車。
ランチは、「うどん定食」がおすすめ。
でも、ゴタが、
「この店は、もと、お漬物屋さんだったのだよ。」
と言っていたから、
「お漬物定食」
をご注文。
で
やっぱり、お新香たくさん残しておられます。
「浅漬けおいしいよ。」
と進めたが
「朝図家?What is it ?」
ゴタ: It's sweet vinegured pickles of cucumber.
浅く漬けたきゅうりで・・・
その結末は、すべてのお漬物が、ゴタの前に集まった。
【ことわざ】 すべての道はローマに通ず。
すべてのお漬物はゴタのところにやってくる。
ゴタとドライバーさんの分は、無料。
すべて、お客様が支払ってくださいました。
エージェントさんからは、1500円までの食事代が支給されますが、
お客様が支払ってくださったのだから、エージェントに請求はしません。
だって、二重請求みたいで、いやです。
18時が終了時間なのですが、食事のあと、
浮御堂へ行った他はどこにも、立ち寄らなかったので、
ホテルには、かなり早く戻ってきました。
お客様は、
「いいよ。18時って、報告書に書いておきなさい。
こっちの都合で早く戻ってもらったのだから。」
そう、ホテルで、今晩のディナーを予約してもらうため、早く
帰着したというわけです。
実にあるがたいお客様でした。
明日は、ホテルを京都に移すそうです。
また明日。さよなら。
おしまい
ゴタ
ブリタニカ百科によると、746年に金鍾寺を大改修して名を東大寺にしたと
いう。
大仏開眼の752年と答えておくのが無難。
この年に、良弁が初代東大寺の別当に就任したからだ。
別当というのは別に当たる・・つまり、兼業の住職だが、東大寺と
どことを兼業していたかは、テキストには書かれていない。
あるいは、橘諸兄や行基などと住職を兼業していたのかもしれない。
それで、1180年に東大寺は、全焼する。
平重衡による焼き討ちだ。清盛が命じたのか、
清盛はその翌年、高熱にうなされながら、逝去する。
東大寺南大門は、焼き討ちから19年後、1199年に再建。
門は、1200年に完成。その3年後、運慶快慶らによる金剛力士像が
でき門の左右に安置された。
四天王像を見て、
「これは誰?」
「広目天である。」
四天王は、地蔵小唄と覚える。
ジ・ゾウ・コウ・タ
持国天、増長天、広目天、多聞天・・
これに、マージャンのトン(東)・ナン(南)・シャー(西)・ペー(北)を
振り付ける。
東=持国天
南=増長天
西=広目天
北=多聞天
ところで、持国天と増長天は、このお堂の中ではなく、
さっき、正面の門(開かずの門)で見た左右に立っております。
東を守護する天は、東南角に置かれます。
南の守護は、南西角。
西の守りは、北西角、そして、北の守護神は、北東角。
広目天ーーーーーーー多聞天
| |
| 仏 |
| |
増長天-------持国天
こんな感じです。
四天王は塑像です。よく聞かれるのは、
「あの広目天がもっている筆と巻物ですが、
あの巻物には何が書かれているのですか?」
知らなーい。とは言えないのがガイド。
そこで、
「みなさんの所業をすべて書き入れているのですよ
そして、巻物は定期的に閻魔法王庁に送られます。」
とええかげんなことを言っているゴタこそ、その名前を記されて
閻魔さんのもとに送られているかも・・・・ 怖えー。
【昼食】
HISの行程表では、このあと「ならまち散歩」と
昼食(場所は自由)となっている。
では、「ならまち」で食事をすればいいじゃない。ということで向かった。
県庁東の信号を南へ取って169号線へ。
169号線5つ目の信号機(紀寺の交差点)を右折(西へ)。
4つ目の信号機(北京終町)を右折。この道は狭いのでご注意。
ジャンボタクシーでぎりぎり通れる幅。
マイクロバスでは絶対無理。
マイクロバスのときは、奈良ホテルでランチをしましょう。
さて、そのぎりぎり通れる道路をドライバーさんに
気を使いながら、我慢して走ってもらって約3分、
左手に「あしびの郷」
その駐車場は店の手前です。
「入ってもらえます?」
ドライバーさんは、真剣です。
「入れますか?」
「大丈夫です。
ジャンボタクシーでよく来る店です。」
でも大事を取って、ビル内のスペースには
入れずに、手前の駐車。
ランチは、「うどん定食」がおすすめ。
でも、ゴタが、
「この店は、もと、お漬物屋さんだったのだよ。」
と言っていたから、
「お漬物定食」
をご注文。
で
やっぱり、お新香たくさん残しておられます。
「浅漬けおいしいよ。」
と進めたが
「朝図家?What is it ?」
ゴタ: It's sweet vinegured pickles of cucumber.
浅く漬けたきゅうりで・・・
その結末は、すべてのお漬物が、ゴタの前に集まった。
【ことわざ】 すべての道はローマに通ず。
すべてのお漬物はゴタのところにやってくる。
ゴタとドライバーさんの分は、無料。
すべて、お客様が支払ってくださいました。
エージェントさんからは、1500円までの食事代が支給されますが、
お客様が支払ってくださったのだから、エージェントに請求はしません。
だって、二重請求みたいで、いやです。
18時が終了時間なのですが、食事のあと、
浮御堂へ行った他はどこにも、立ち寄らなかったので、
ホテルには、かなり早く戻ってきました。
お客様は、
「いいよ。18時って、報告書に書いておきなさい。
こっちの都合で早く戻ってもらったのだから。」
そう、ホテルで、今晩のディナーを予約してもらうため、早く
帰着したというわけです。
実にあるがたいお客様でした。
明日は、ホテルを京都に移すそうです。
また明日。さよなら。
おしまい
ゴタ