Nicotto Town



普通に近くに在った「縄文時代」


私が子供の頃は勿論木製の二階建ての小学校で
其の土地に戦後のベビーブームで沢山建てられた小学校の一つ。

で、北海道の縄文時代の歴史を見れば解る様に
それだけ長く縄文時代が続くと当然学校を建てようと敷地をほると
縄文土器が出て来る訳。

で其れのいくつかが学校に飾られて此の小学校を建てる時に出て来たと
説明が気と共に沢山棚に置いてある訳。

二階建て学校の会談の踊り場は広いので其の高い窓の所にも
階段を上がった所にも棚が在って置いてある訳。

で誰の提案化は解らないが何と縄文土器をつくる授業まで在って
洋服と手を汚したくないのに泥をこねさせられて
更に記憶では長い紐を其の土で作って重ねて行ったと思う。

私はこんな幼児がする様な事に価値を見いだせないし
手も服も汚れるし、勿論私の作ったのも含めて殆ど人は真っ黒に焦げたり
して成功率が凄く低かった様に思う。

詰り其れを乾かしたのかどうかは忘れたが
別の日に土をほって蒸し焼きにしたのである。

数人の成功した生徒と先生と価値の解る生徒たちは大騒ぎをしていたが
雨乞いをして雨が降って来た様なはしゃぎ様を白けた目で見ていた。

其れ程身近に当たり前に北海道に在った縄文文化も貝塚も
消しようがない事実だった。

だからアイヌが先住民族?と言う主張に腰が抜ける程びっくりした。

私達に取ってアイヌは北海道以外の所から縄文人より高度な文化を持って
渡って来て縄文人と同化して北海道に次の文化を作った人達であり
歴史的証拠もそして「コロポックル」としてアイヌ側の神話も其の事を
書いていた。

家の作りの違いからもアイヌは其れまでの縄文人と違っていて
神道の神棚の様な文化も持って居た。

そして鳥居の文化もアイヌは持って来ていた。

更にアイヌは其の経緯を洞窟にロシアのアムール川付近の遺跡と似た
遺跡を残した様だ。

其のアムール川流域の人達は何処から来たのかも解らないが
カナダとか、アメリカとかに渡った様だ。

非常に似た文化が在る。

キルギスタンでは半分は日本へ渡り、半分は欧州に行ったとある。

DNAを調べれば其れは解明されるだろう。
否既に解明されているのだろう。

そして伝承も其のDNAで解明されているのだろう。

病気の遺伝子から性格の遺伝子まで殆ど解明された現在。

猟奇的、攻撃的、短絡的思考で暴力をふるう遺伝子も解明されているのだろう。

それらを持った民族も解明されているのだろう。

そして其の遺伝子を破壊する薬が出来たとしても其れは在りうる事だろう。

だったらアイヌの伝承に在った「決して交えてはいけない血」とは
何をさして居たのかも解明できるだろう。

其の血こそ「悪魔の血」なのではないか。

外見はそっくりなのにまるで全く反対の性格を持った物が此の世に存在し、
そして其れは「ヤヌス」、或いは「陰陽」と伝承されて
何かを暗示していたのかもしれない。

それにしても今の遺伝子が解明される数千年前に
「混ぜてはいけない血」と言うのを伝えた人達は何者なのだろう。




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