ゴタぴょんの日記 2019年 3月27日(水)5
- カテゴリ:日記
- 2019/04/03 06:16:36
3月27日(水)5
【興福寺へ】
昼食後、ならまちの散策はせず、興福寺へ行くことになりました。
藤原鎌足の奥さんの名前をご存じですか?
そう、鏡女王(かがみのおおきみ)です。
Kagami-no-Ohkimi built Yamashina Temple
in 669 wishing for recovery from disease of her husband.
興福寺は、その前身が厩坂(うまやさか)寺といい、奈良にあった寺。
その厩坂寺の前身が山階寺。
タマゴがオタマジャクシになって、オタマジャクシがカエルになって・・・
みたいな。
そういうお寺です。
興福寺になったのは、藤原不比等のとき。
不比等が、元明天皇の平城京造営のとき、
都の守り寺として、高市にあった厩坂寺を平城京の今の地に移し、
寺の名前を興福寺とした。だから、創建は、平城京と同じ年。
山階寺の創建は669年で、厩坂寺は、672年。
そして、興福寺は710年に生まれた。
人類がいつ生まれたか、という問題とよく似ている。
類人猿だったころなのか?
アウストラロピテクスの頃なのか?
シナントロプス・ペキネシスの頃か?
とりあえず、興福寺は、710年にできた、ということでガイドをしましょう。
だが、厳密にいうと、710年は造営が開始された年で、完成は、714年
になる。714年に金堂が立てられた。
さらに五重塔ができたのが、730年。光明皇后が建立。
お寺が建てられた年の線引きは難しいものですわ。
なお、興福寺も、東大寺と同様、1180年に、平氏の焼き討ちで、
ことごとく堂宇を消失した。
再建されたのは、1210年となっております。
さて、見学は、国宝館と東金堂の通しチケットを買うのがお得だが、
「We'er not very interested in Buddhist arts.
Rather would like to see temple buildings from outside.」
入らなくてもいいの。外から建物を見てるだけで楽しいんだ。」
ということで、五重塔とか、北円堂とかを見て回ることになりました。
【五重塔】
日本で東寺に次いで2番目に高い塔。
室町時代の再建です。(最初の塔は平家が焼き討ち)
この高い建物を楼閣だと勘違いするお客様は多い。
塔はもともと、インドのストゥーパから発展したもの。、
ストゥーパとは、仏舎利を収めた塔で、簡単に言うと、お墓。
ご主人: ここに藤原さんが住んでいたのか?
Is this Fujiwara's residence ?
ゴタ : え? ここは住宅と違います。
Oh, this is not a residence.
It's a stupa or pagoda.
From ancient times, Buddhist Temples have built
this type grave for Buddha.
これは卒塔婆で、お墓になりますなあ。
ご主人: I thought this tower was an old skyscraper.
そうかいな。また、わしは、古代の摩天楼かと思いました。
ゴタ : Five of a five- story pagoda has a meaning.
The first floor is reprisentaive of earth.
Second, water, third is fire, fourth floor is wind
and the fifth depicts sky.
5というのは、意味があって、
下の層から、土、水、火、風、空
を表しています。
昼食後、ならまちの散策はせず、興福寺へ行くことになりました。
藤原鎌足の奥さんの名前をご存じですか?
そう、鏡女王(かがみのおおきみ)です。
Kagami-no-Ohkimi built Yamashina Temple
in 669 wishing for recovery from disease of her husband.
興福寺は、その前身が厩坂(うまやさか)寺といい、奈良にあった寺。
その厩坂寺の前身が山階寺。
タマゴがオタマジャクシになって、オタマジャクシがカエルになって・・・
みたいな。
そういうお寺です。
興福寺になったのは、藤原不比等のとき。
不比等が、元明天皇の平城京造営のとき、
都の守り寺として、高市にあった厩坂寺を平城京の今の地に移し、
寺の名前を興福寺とした。だから、創建は、平城京と同じ年。
山階寺の創建は669年で、厩坂寺は、672年。
そして、興福寺は710年に生まれた。
人類がいつ生まれたか、という問題とよく似ている。
類人猿だったころなのか?
アウストラロピテクスの頃なのか?
シナントロプス・ペキネシスの頃か?
とりあえず、興福寺は、710年にできた、ということでガイドをしましょう。
だが、厳密にいうと、710年は造営が開始された年で、完成は、714年
になる。714年に金堂が立てられた。
さらに五重塔ができたのが、730年。光明皇后が建立。
お寺が建てられた年の線引きは難しいものですわ。
なお、興福寺も、東大寺と同様、1180年に、平氏の焼き討ちで、
ことごとく堂宇を消失した。
再建されたのは、1210年となっております。
さて、見学は、国宝館と東金堂の通しチケットを買うのがお得だが、
「We'er not very interested in Buddhist arts.
Rather would like to see temple buildings from outside.」
入らなくてもいいの。外から建物を見てるだけで楽しいんだ。」
ということで、五重塔とか、北円堂とかを見て回ることになりました。
【五重塔】
日本で東寺に次いで2番目に高い塔。
室町時代の再建です。(最初の塔は平家が焼き討ち)
この高い建物を楼閣だと勘違いするお客様は多い。
塔はもともと、インドのストゥーパから発展したもの。、
ストゥーパとは、仏舎利を収めた塔で、簡単に言うと、お墓。
ご主人: ここに藤原さんが住んでいたのか?
Is this Fujiwara's residence ?
ゴタ : え? ここは住宅と違います。
Oh, this is not a residence.
It's a stupa or pagoda.
From ancient times, Buddhist Temples have built
this type grave for Buddha.
これは卒塔婆で、お墓になりますなあ。
ご主人: I thought this tower was an old skyscraper.
そうかいな。また、わしは、古代の摩天楼かと思いました。
ゴタ : Five of a five- story pagoda has a meaning.
The first floor is reprisentaive of earth.
Second, water, third is fire, fourth floor is wind
and the fifth depicts sky.
5というのは、意味があって、
下の層から、土、水、火、風、空
を表しています。
つづく