【エッセイ】震える手
- カテゴリ:日記
- 2019/03/23 21:31:37
いつからかわからないくらい前から、自分ではどうにもならない手の震えが起きる
事がある。
それはある程度薬で抑える事も出来るのだが、結局何かのきっかけで薬が効かなく
なることもあるんだ。
医者からは「緊張すると手に意識が集まりやすいから、いったん作業を止めて手の
平の緊張をほぐすように、握ったり開いたりして意識を散らしてみてください」
なんて言われるんだけど、これがまた1分も持たないと来たもんだ。
それはリラックスして居るつもりでも起こるし、仕事中だろうが何だろうが起きる
時はおきて、そう言う時に限って区切りがつかない時だったりする。
なる時はなる。
もうあきらめの世界。
ヤツフサの日記を長く読んでいる人は気が付くだろうが、誤変換だけでなく普通に
タイプミスが多い。
確かに見落としが一番の原因なんだけど、この字だと思って選択しているのに、手
の震えでいつの間にか違う文字を選択して居たりする。
マウスもダブルクリックしているつもりで3回押してたりとかねw
そう言うのって周りからどう思われてるんだろう。
まぁ、話が通じれば普通に扱われることは確かなんだが、逆に言えば話が通じる
のに「なんでやれない!」「甘えだろ」って言う目にさらされてきたのは間違い
じゃない。
それがある時「鬱」の本を読んでた時だったと思うが、「鬱は心の骨折」と言う
表現で書かれてた。
以前にも書いているかもしれないが、その本には「ピッチャーをやりたくて野球を
初めた人が、ピッチャーだけの練習をしていて認められ野球のチームに入れたのに
始めた見たら守備は外野、でも野球自体は好きだった事から続けるも、ピッチャー
意外の練習をしていなかった事もあり、骨にひびが入ってしまう。 本人は気が付
かず、ただのスランプだ。 頑張ればなんとかなる。 とあがくが、骨のヒビは酷
くなるばかり。 気を使った友達が、気分転換にビーチバレーでもやろうと誘って
くれても結果ヒビが広がってしまう。 きちんとした手当と休養で自然治癒を促す
事しか治療にはならない」
なるほど納得だ。
自分の事は自分がよく知っていると思っても、自分の顔は自分で見れない。
見るためには「鏡」の様な道具を使うしかないのだ。
自分の事なのに自分ではわからない、それを客観視すら出来ないとどうなる?
自分はこうなんだと思っても、専門家から見れば違うかもしれない。
その為には少なくとも専門家に「正確な情報を伝える」事が必要だ。
医者の前で「大げさ」に話したり逆に「大した事ない」ように話したり、伝えるの
を忘れたりするとプロでも判断を間違う。
少なくとも色んな弊害があると思うよ。
色んなやつが知ったかぶりでテレビや何かを見て「こうすればいい」と言っても、
それが本当なら医者が悩む事なんてないんだ。
健康食品で病気が治るなら国民保険なんて要らない。
薬で確実に治るなら、今手が震えているわけない。
だから僕は「手の震え」が起きた時は、みんなに「すまん!」と言って休むんだ。
諦める事で良い結果を生む事だってあるのだから。
それも込みで唯一無二の存在、個性。
不自由なガタの時は、安全な場所に避難してね。
今みたいに伝えてくれると、「そか、わかったよ」って静かに待てるよ。
生きててくれるだけで救われている人がいるんだよな・・・
ここにもおるよ。
ときどき、タイプミスがあるなぁ、程度にしか分かっていませんでした。
心の病って厄介ですよね・・・
いたわってすごしてくださいね。
諦める勇気ってのも要るんですよね・・・
だって諦めきれないんだもん。
負けを認めて撤退する。
撤退の時もしんがりを確りしないと追い打ちに合う。
弱り目に祟り目ですからね。
ヤツフサが当初通っていた病院には、本人だけではどうしても回復できない、または家族が治療の妨げになる行動をしていると言う事を教えるための「家族会」と言う、家族が患者の事を理解してサポートすることで回復を促すミーティングがありました。
まぁ、うちの身内は誰一人「お前の問題だから自分で何とかしろ」の世界で、全く勉強する気がなくて、一時物凄く悪化しましたけどね ('A`)
「好き」の反対は「嫌い」じゃなくて「無関心」だと思うんです。
嫌いと言うのは好きと同じで相手を意識するものですから、ちょっとしたはずみで入れ替わるかも知れません。(たぶんないけど、青春ドラマで殴り合って友達になる的な)
無関心、適当にあしらう、そう言う事が「風邪」から「肺炎」にしたり、万病のもとになっていくんでしょうね。
わからんけど ('A`)
ヤツフサも初めて精神科受診した時号泣したな・・・
動揺し過ぎた。
だって、2人前の患者さんが診察終わって出て来たとたんに受付で・・・
「薬だせや~!」 どっかーん(受付にあるものを横なぎに吹き飛ばす)
を見てたので、『や、ヤバイ! やっぱり精神科はヤバい所だったんだ』
と自分の知らない世界を勝手に想像して、『自分は甘えているだけ』って言う気持ちが、受付でさらに強くなってましたからね。
ちゃんと話が聞いてもらえたと言うだけで、何故か号泣しましたよ。
「誰でもなる」と言う意味だったらしいけど、軽いものと捉えられるその表現に、違和感を覚えました
「風邪」みたいに、短期間で治るものではないです
「骨折」・・・治療が悪ければ悪化もしますね
固定していれば治る場合もあれば、手術が必要な場合もあり、癖になり繰り返すこともある
表現としては、共通する点も多いかもしれません
でも、病んだことのある者からしてみれば、代替の表現で片付けて欲しくない気持ちもあります
病んでみなければ解らない・・・自分ではどうすることも出来ない感覚
世の中に「鬱」に対する、理解がもっと進むことを願います
(完全に理解することは難しいけど・・・)
おととい精神科受診だったけど、初めてDrの前で号泣した