相談支援員さんからの連絡
- カテゴリ:占い
- 2019/03/12 15:30:30
ニコットおみくじ(2019-03-12の運勢)
覚書を兼ねて書いているので、わかりずらい部分があるかもしれません。
午前中に個別支援計画をお願いしている相談支援員さんから連絡がありました。
通所先の職員さん、相談支援員さん、私達の三者で話し合いの場をもつと
いうものです。
その日程の件でご連絡がありました。
その他に通院先の大学病院の連携室という部署に支援員さんから連絡を入れ
息子の現在の状態を聞きたいので許可をいただきたいと、話がありました。
私の方から施設に施設内で車いすの使用をさせてもらえるかと
先週、電話でお話ししました。
施設側の考えとしては、歩ける方が車いすを使用すると様々な機能の衰えがあり
否定的な考えのようです。
それで主治医の見解を聞きたかったようです。
最初、脳腫瘍の方でお世話になっている先生が電話口に出られたそうで
「車いすを使うほどではない」という見解だったそうです。
支援員さんから上記の連絡をいただきましたが、その先生からは
「僕はてんかんのことはよくわからないから」とてんかんセンターへ
繋いでいただいた経緯があるので、てんかんで診ていただいている先生の
見解を伺っていただきたいとお願いしました。
その後、連絡をいただきました。
やはり車いすを使うほどではないというお話だったそうです。
プラスのお話として「車いすを使うと脳の機能が低下する」とおっしゃったそうです。
お二方とも車いすを使う事に否定的な見解だったので、施設内の移動等で
車いすを使わせていただきたいという要望は通りそうもありません。
施設側からは心配のし過ぎは良くないと言われています。
それは「どっしりと構えていて下さい」という言葉に置き換えて理解するように
しました。
ニコ友さんがブログに書いて下さった言葉ですが、心のに染み入りました。
もう1つ施設側から言われたことで「ずっと側に付いていることは出来ない」
という言葉。
支援員さんもその事は施設側に同調されていました。
私もその点は理解出来ますし、仕方のないことだろうな…とは思います。
支援員さんからは
「心配をされるのはもっともだと思いますが、施設の方は心配の仕方を
おっしゃっているんだと思います」と言われました。
それも理解出来ますし、理解するようにしてます。
ですが…。
「ずっと見てはいられないよ」とおっしゃるのなら施設内のトイレ移動の時に
車いすを使うのはダメでしょうか?
ダメなようです。
私の勘違いや理解不足でなければ、そのような見解なようです。
機能が衰えるという点と、他にも車いすの方がいるので見られる職員に限りがあり
手が回らないということらしいのです。
でも、車いすなら移動自体は危なくないので、便座に移る時と便座から車いすに
戻る時に気を付けていただければ良いので、そのような車いすの使い方ならば
それほど職員さんの手をわずらわせないと思うんですが…。
逆に転ばれて何かあった方がよほど厄介だと私は思ってしまのですが
立場が違うと違うのか、単に私の心配のし過ぎなのか。
どうも考え方の転換が出来なくて、考えれば考えるほどドツボに
はまっていきます。
車いす使用=心配のし過ぎ
↑
そう捉えられているのでしょうか…。
施設側は「本人はどうしたいのか。本人の希望が大事」とおっしゃっている
そうです。
本人ありきですからごもっともな事ですが、27日の話し合いが終了するまで
家で様子を見るか、血中濃度がほぼ落ち着く2週間を過ぎたら行かかせるように
するか…。
施設側が言うように本人の希望を聞いてみても「どうしたら良いのかわからない」
ようなのです。
話し合いをしてみないと、どのような支援体制になるのか方向性が
定まらない。
私の思いを優先するならば、そんな宙ぶらりんな状態で行かせるのは心配。
正直、私もどうしたら良いのかわからなくて。
27日の話し合いにも、どのような心持ちで臨めば良いのかが
わからなくなっています。
わかりやすい例えをありがとうございます。
噛み合っていない、納得しきれていないという点についてのご指摘は
その通りかもしれません。
ケアについての納得できない気持ちは私の中で少しずつ大きくなって
きていたとこでの転倒だったり、心配のしすぎ等のご指摘があった為
不安が爆発したのだと思います。
ですが、この機会に支援員・施設・保護者が本人の為にどうしていくかを
改めて話し合い、共通の認識を持つという時間ことが出来るので
良かったと前向きに考えています。
正直なところ、第三者にゆだねることなく自分が家で息子を見ることは可能ですし
その方が余ほど気が楽ですが、それは息子にとっては必ずしも良くはないと
いう事も理解しているので、通所させていますし今後も可能な限りは
そうさせたいと思っています。
息子が「血中濃度が…」と言ったは
私が「減薬と同じように血中濃度がほぼ落ち着く2週間はお休みをして…」と
話しをした流れでそうなりました。
「AとBならどちらが良いと思う?」というような比べるものがないと
選択するのが難しい時はそのようなやり方をしています。
先ほど施設の担当者と電話で話をした結果、来週の金曜日から通所を再開
することになりました。
27日の話し合いの時に数日間通った状態を含めて話をすることも出来ますし。
実りある話し合いが出来るといいなと思います。
手をかけた方がいろんな意味でも楽な事も多いからです。
状況は違うけれど、例えば脳疾患等のリハビリがいい例です。
医療者側は意味があって「見守る」対応をしていても、
それをキツイと思う本人やかわいそうだと思う家族にイロイロ言われてしまう。
施設的には「てんかんの発作」が起こる事もあるというのは、
元々分かっていて受け入れているのに何故?的な思いもあってお互いかみ合っていない^^;
斎さんのお母様が仰られていたように、必要性に「納得」出来ていない為に起こることだと思います。
(多くの場合はw)
医者の見解(安静が必要でない場合は、歩いたり日常生活を普通にすること)
施設側が対応可能な事・範囲・出来ない事
しのみぃさんの「気持ち」
可能ならば息子さんの「気持ち」
今回の事に限らず、この先にも同じような事もあるでしょうから、
それぞれのすり合わせが必要なのかもしれませんね。
しのみぃさんが「納得」してくれるのが大切なので、
不安・心配な事を確認してきてくださいね~。
息子さんの気持ちは「薬の血中濃度が安定したら、行っても大丈夫」というところなのでしょう。
しっかりしていますね。施設側もそういう風にみているのではないでしょうか?
ありがとうございます。
“息子さん自身、不安を感じてるようなら、その不安を軽減する支援が必要かなと思います。”
↑
息子自身の本当の気持…私の不安を受けてではない気持ちを聞き出せたら
いいなって思います。
自分の言葉で自分が感じていることや思っていることを聞き出すのが難しいものですから。
話し合いは27日ですが、現在は家で休んでいる息子をどのタイミングで行かせるか…。
再び増量を始めて1週間。
血中濃度がほぼ安定するまで更に1週間。
息子はその頃に通所を開始しようかな…と言っていますが、話し合いより前に行かせて
良いものなのか…。
施設側は何と言うのか…。
考えると色々な思いがグルグルと頭の中を巡って考えがまとまりません。
専門的なことは、良くわかりませんが。。。。
しかし、どなたも、息子さんやしのみぃさんの方を向いてお話されてないように思います。
支援する側には、人為的な面での考えもあるんでしょうね。
確かに、車いすに頼ってしまうと、運動機能など低下することもあるでしょうね。
でも、私は、柔軟に対応するってことができないのか疑問に思いました。
車椅子だけでなく、歩行の補助機器もありますよね。
息子さん優先も、勿論ですが、しのみぃさんの不安をぬぐってくれるだけの回答じゃないですものね。
転ばぬ先の杖かもしれませんが、親が子どもの手を離すときって、
親の不安が無くなった時じゃなくて、子どもの成長を認めたときだと思うのです。
息子さん自身、不安を感じてるようなら、その不安を軽減する支援が必要かなと思います。
今一度、共通の認識をもつ機会だと解釈して…。
自分一人だと心細いですが、主人も同席してくれる予定ですので。
なんとか、なんとか…です^^;
“説得より納得”と言うお言葉に「おぉっ!」と納得しました。
お母さまに、くれぐれもよろしくお伝え下さい^^
真摯に向き合って話し合えるよう、心がけます。
幸いに主人も同席予定ですので、私よりも落ち着いて話してくれると思います^^;
介護施設に勤めていた母曰く「説得より納得」らしいので、しのみぃさんが「コレなら任せても大丈夫」と受け入れられるようになるまでトコトン話し合って、こういう場合はどうなのか、この状態ならここまでサポートできます、というのをお互いに突き詰めていくことが大事な気がします。
息子さんの安全を第一に考えてこうしたい、というしのみぃさんの気持ちが正確に伝われば、相手も対処(考え方?)が変わることがあるかも知れませんし。
足の捻挫が酷くて歩くのに負担が掛かって歩行が困難なので
出来るようになるまで「車いす」を利用したい…
↑
「休んでいただいて結構です」と言われると思われます^^;
今の施設は、そういう状態なら来させないで下さいという感じです。
前の施設は来るなら受け入れるという感じでした^^;
自分が安心したいという気持ちもあると思います。
ですから血中濃度が安定するまでの間、最低でも2週間はお休みさせるつもりです。
本人は車いすを使いたいとは言ってません。
そして私も車いすを使うようにしてはどうかしら…というような事は息子には言ってません。
施設は車いすの利用を否定している感じだったのと、どうなるかわからないことは
息子には言わないようにしています。
(自閉症の特徴で変更が難しい事もあり…で)
“施設側は本人の為よりもしのみぃさんが安心したいから、という印象を受けているのだと思います”
↑
私もそう感じています。
“しのみぃさんが車いすが良いと思う強い気持ちの影響を受けているのでは?
(お母さんがこう言うのでそうした方が良いのかな?って思っちゃう。なんて言うかなぁ~?
こんな感じが、施設側が言う、お母さんの心配が子供に移るってカンジでしょうか)”
↑
そうだと思います。
読ませていただいて、的を得たことを書いて下さっていると思いました。
ただ、息子に車いすを使おう、使いなさい、使った方が良いよ…等は一切
私は言ってません。
先にも書きましたが、使う事がはっきりと決まっていないので言わないようにしています。
車いすを借りてきて玄関に置いてはあるものの、捻挫して歩けなかった時に使っただけなので
今の段階では固執してないと思います。
自分の心配を優先したことは、あると思います…たぶん、きっと。
これが、足の捻挫が酷くて歩くのに負担が掛かって歩行が困難なので出来るようになるまで「車いす」を利用したい…っていうのなら、OKなのです。
車いす利用については、ここに違いがあるのですw
一時的なものならば、いっその事2週間?お休みするのがbestだと思います。
この先もずっとというのは、正直私も賛成しかねます。
現在歩けないわけではなく、発作があった場合転倒することがあるが、
発作は起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。
さらにそれに起因しての怪我などもあるかもしれないけど、ないかもしれない。
そのことについてしのみぃさんが心配するのも分かるけれど、
全てにおいて予防することは難しいですし、
したいのなら24時間常に誰かが傍で見守る事が必要になります。
ただ、心配してはいけないというのとは違います。
例えば出来る事が10ある中で、1つの心配で他の9つの事を制限しても良いのか?
先回りして全てに予防線を張るのは、息子さんにとっての安心なのか、それともしのみぃさんが安心したいのか?
起こらない可能性もあるのに・・・
歩かない事により、筋力の衰えが出てきたりなどの弊害の方が強いのです。
そうなった場合は、この先本人もつらいし、しのみぃさん達も介助がますます困難になります。
・・・トイレに行くときだけが心配ならば、その時だけ歩行を見守ってもらうのではダメなのでしょうか?
施設側は本人の為よりもしのみぃさんが安心したいから、という印象を受けているのだと思います。
なので、本人がどうしたいのか?歩けるのに、車いすを使う事により歩かない事による弊害も分かっているのか?
しのみぃさんが車いすが良いと思う強い気持ちの影響を受けているのでは?(お母さんがこう言うのでそうした方が良いのかな?って思っちゃう。なんて言うかなぁ~?こんな感じが、施設側が言う、お母さんの心配が子供に移るってカンジでしょうか)
まずはしのみぃさんが何を心配しているのか、自分で見つめてみましょう。
他人などへの心配ならば、↓で書いていたように、保険に入れば安心ですよね。
安定するまで目が届いていないことが心配ならば、休ませることが良いのでしょう。
不確定な事への心配は、いつでもある事です。
そこはやはり、しのみぃさんの心配(本人ではなく)を優先させても良いものなのかどうか、
少し考えなくてはならないのかもれません。
いつも本当にありがとうございます。
お気遣いいただき嬉しく思います。
上手くお返事が書けなくて申し訳ありませんが、書いて下さったこと
理解出来たと思います。
自分の中では車いすが妥当かな…と思ったのですが、使う事で安全面が
強化されるグッズ等があるのなら、他の物でもいいのです。
おっしゃる通り「何が可能」という具体的な提案はないのです。
出来ない事が前提で話される(そういう印象です)ので、余計に心配になるという悪循環。
書き忘れてしまいましたが、大人が一人倒れるって相当な衝撃だと思うんです。
作業所内で倒れた場合に息子だけでなく、ぶつかられた方もかなりのダメージを
受ける可能性もあると考えると、それも恐いんです…。
昨日、検索していて掛け捨て(だと思いますが)の保険を見つけました。
てんかんや自閉症、知的障がい者向けの保険で、入院や怪我に対応してくれるものです。
他人をケガさせた・他人のものを壊したときのために「個人賠償責任補償」もあるものなので
発作で周りの方を巻き込んでしまった時の為にお守り代わりに入ろうかと考えてみたり…。
頭の中が色々な思いでパンパンな状態で考えが上手くまとまりません。
もっと頭の回転が速くなりたい…。
頭が良くなりたい…。
心底、そう思いました。
しのみぃさんも、心配することも、何にも悪くないです。
できることがたくさんみつかりますように。
心配しすぎ ということは違うと思うんですよね。
同様に
車椅子を使う必要がない ということと
心配をしすぎてはいけない ということは別のことです。
そして「心配のしすぎ」=しのみぃさんの過失、でも、もちろんありません。
こんな風にぶった切って分類してしまうのは乱暴なのかもしれませんが^^;
・車椅子を使いたい理由 を具体的に書き並べてみて…
・「使う必要がない」なら、その理由はなぜか、聞けるのなら具体的に聞いて書いてみて…
みんなが共有できる、みえるかたちにして話し合いをされることが必要だと思います。
読んでいて、支援員さんや施設の方には、しのみぃさんの気持ちは痛いほど伝わっているのではないかと思います。読んでるだけのわたしたちでも伝わるものがありますし。
受け止めようとするからこそ、「心配を打ち消そう」という気持ちが相手にも出過ぎているように感じます。
まず話し合われるべきは「息子さんの安全」についてなんですが、主題が「しのみぃさんの心配」になっているのがちょっとなぁ…^^;って感じです。
自分だったらですが「わたしの心配にご配慮くださるのは大変ありがたいんですが、それは話し合いたいことではないんです。ですから、わたしの心配の話は一度横に置いていただけませんか。心配だから車椅子を使いたいんではなくて、本人が危険だから使いたいんです」とまず切り出します。
そして、実際に怪我をしたことなどを具体例としてあげます。
施設側から「看護士が常駐していない、常に職員が側で様子を見ていることは出来ない」というお話があったんでしたよね。
それを承知した上で、しのみぃさんのイメージとして、負担をかけずにその条件をのむには「車椅子」なら可能ではないのかと思った、ということですよね。(←たぶんココが理解されてない気がします)
施設では「できない」ことはお話しされますが「何が可能」なんでしょう?
たぶんはっきり言わないと思うんですよね。必ず大丈夫とはお約束できませんから。
だから、あちらからは「できない論」でしか話せないんだと思います。
車椅子に対して否定的…ということは実現性が低いのかもしれません^^;
逆に言えば「できない」と言われなかったことはできるってことなんです(やっぱり乱暴かも^^;)
歩行補助器等は見たことあります。
息子が肢体不自由児童が通学する特別支援学校へ通っていたものですから。
ただ、車が付いているので発作で意識がなくなった場合は器具のコントロールが出来ず
補助器が凶器になる可能性も考えられます^^;
でも、やっぱ動かないと機能はどんどん低下してゆくようです><
歩行補助器とかない???アレは意外と安定してるような気がするんだけど。。。
車椅子は押す人とかが発生するから厄介扱いなんでしょうね。。。
点滴のガラガラみたいなのでも安定するかな。。。
母を思い出してみました^^