2月6日 ② (つづき)
- カテゴリ:日記
- 2019/02/07 09:59:38
ブッダが説いた仏滅後の500年が過ぎようとしたころ、
仏教教団は、部派仏教と大乗仏教とに分裂を始めた。
まさに正法の500年が過ぎようとしていた紀元0年前後のことです。
このころに、たくさんの大乗仏教典が編纂されたらしい。
まさに、ブッダが説かれた像法(形だけの仏教)、多読誦堅固の時代と一致する。
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部派仏教教団では、ブッダの教えの解釈の研究に専念するあまり、
教えを説いたり、大衆に広めたり、ということはしなかった。
多くの人を救うのが、ブッダ(釈尊)の生涯であったはず。
そう考えた修行増たちは、ストゥーパ(仏塔)信仰する大衆たちに、
教えを説いた。そして、彼らのために、多くの経典を編纂した。
これが大乗仏教の起こりであるが、この大乗仏教は
北伝と呼ばれ、西域~中国経由で日本に伝わった。
アビダルマ(経典解釈)に没頭していた部派仏教は南伝とよばれ、
タイ、ビルマ、スリランカなど、南域に伝わった。
この南伝の仏教は、アショーカ王(2,3世紀のインドの王様)
の時代に編まれた仏典を保持しているので、
かなり、ブッダが説いた教えに近いとされています。
では日本に伝わった大乗仏教はブッダの教えではないのか?という疑問が
生じますが、答は、「はい、ブッダの教えではありません。」
「しかし、ブッダの教えを含んでいます。」
なので、捨てさることはできません。
たとえば、100万円の札束を古新聞紙に包んで、
これは、古新聞紙だから捨てましょう。とは、ならないように。
古新聞紙の部分にあたるのが、頌偈(詩歌形式の部分)だったり、
菩薩の思想だったり、インド文学との融合だったり、また、中国に
取り入れられてからは、儒教の要素が入ったりで、
もとの教え20%、後世に組み入れられたのは、80%ぐらいかと思います。
でも、それをそのまま、広義の仏教としてそのまま受け入れている
というのが、今の日本の仏教界です。
古新聞紙ごと、通貨として使っているみたいな。
我が、日蓮宗のお寺でも、
日蓮聖人いわく、「袋汚しとて、黄金を捨つるなかれ」
として聞いております。
一方、南伝仏教はというと、古新聞紙の部分がない分、かなり原型に
近いと言われています。たとえば、岩波文庫で出ている
「ブッダのことば」 「感興のことば・真理のことば」
「ブッダ最後の旅」
など。
でもこれらの教えは、どちらかというと、仏教というより、
道徳や倫理みたいなもので、どこにも、たいして不思議なことや
奇蹟話は説かれていません。ちょっとがっかりかも。
どちらかというと、中国の諸子百家たちの孔子、老子、韓非子なんかのほうが、
わかりやすく、実践もしやすい。そして、自己への啓発や戒めに役立つかも。
私、個人的には、奇蹟や、不思議がないと、信仰の対象になりにくいと
思っています。つまり、菩薩や、夜叉や鬼神、竜王などが登場して
最後に釈尊に説き伏せられ、めでたし、めでたし、となるストーリー
でないと、安心できない。そうおもうのであります。