え、すごいね。
- カテゴリ:人生
- 2019/01/12 17:15:02
今日は朝から、娘の学校へ行き懇談会と卒業生の話を聞きました。
話をしてくれたのは3人、みんな務めて3年の先輩たちです。
その中で、一人の子が稼いだ給料を何に使うのか
と言う話になり
なんと、親に家を買ってローンをはらっている
と言うではないですか。
凄すぎる。
彼の家の事情とか、家族構成を知らないので
なんとも言えないのですが
個人的には、親の立場から言うと「申し訳ない」につきます。
そういうのも
2,3ヶ月ほど前に娘から
親が給料を搾取してる時もあるから、気を付けるように
と言う話があり、ほぼ涙目で「お母さんそうなの?」と
驚きを通りこして、怒ってしまいました。
先生も先生で何てこと言うんだ!!
と思いましたが、世の中には無い話ではないので
娘に人を見る目が育ってないと言う事なんですが
そう言った場合は、親、親族以外の他人、先生とかでもいいから
相談すること、お金の流れがオカシイのは
多分職場でわかるから、職場の人に相談するのもいいよね
としか、説明できなかったけど
言うなら、フォローも入れて欲しいです。
先生の言う事は絶対の素直さ、なんだからさぁ。
言葉って難しいですよね。
クラブ718さんの書き込みを読んで
色んなニュースの色んな言葉を思い出しました。
当事者が望む言葉でなくてはいけないけど
かえって難しくなりすぎて、本質が伝わらない事もある。
いつも思う事は、当事者の声を聴く事
ずっとこれからも、ずっとずっと私は娘を『手帳を持たせてしまった人』なんだなぁ
と言う思いは消えないのです。
障がい、という表現は、私のような精神病で持つ手帳(便宜上 障手帳・障帳 と表記してごまかしています)もそうなのですが、何かこう引っかかります。がいを仮名にすると将来いろいろな当て字を放り込まれそうで怖いからです。
私が想定するのは、「障外」です。外界(これは障がい者側を内界とする世界空間)に障りを持つ者という造語で、いまはご存知の通り「障外」なる造語はありません。しかし、かつてあった「障害」が方々で使えない言葉になって、忌み言葉になりつつあるのは、精神病者の私からすると奇妙な傾向といえます。
障がいに代わる別の言葉があります。障碍(碍は常用外漢字)です。碍子(がいし)という絶縁体の素子で、電線を固定するための磁器(セラミックス)にあるように、主に身体障がい者が、街で出くわす階段などの「バリア/障壁」から使われるようになった字です。私はこちらの方がふさわしいと思います。
かつてあった「盲人」は「交通弱者」へ、「色弱」は「ドルトニズム」という似ても似つかない言葉になった言葉。言語が豊かなになる陰で消えていく陰湿な虐待句に、私は怯えています。
大変でしたね。罵られて罵り返さなくて、よく我慢されましたね。
相手が落ち着いた時点で、職員の方がとことん話べきでした。
私は、どんな状況のどんな人でも、理由があっての行動だと思うので
(八つ当たりの場合もおおいにありますが)
そこを汲んであげるのが、施設にいる人の役割だと思います。
クラブ718さん、傷つきましたよね
とっても不愉快だったと
施設長さんにわかってもらえるといいです。
心が軽くなる事を願ってます。
このあいだ、障害者通所施設にて通所者2名が、私をののしり、職員達を困らせました。
施設長は驚いていました。それで、一般的な言動、と私をなだめてきました。
施設・施設長に対し遺憾な思いの残る私です…
刑法230条(名誉棄損)なれども加害者側は罪状を認知していなく、加害者側が病気持ちで刑罰がない状況に。しかも曖昧な公共の場。私は困りました。
[名誉棄損は3年以下の懲役、禁固または50万円以下の罰金刑です。]
通所者2名は何事もなく現在も通っているそうですが、一見しただけでも重篤な病とわかる状態でしたので、訴えても無駄な感じがします。
プログラム終了、おめでとうございます。(^^)
まず、一歩ですね。お疲れ様です。
主治医方とよく話あうのはとてもいい事
そして、ニコタといえど、書こうと思っているだけでも
前進だと思います。無理しないで
人生は80年あります。自分と相談して歩いていきましょ~~
今日は報告があり訪問しました。
長い間通っていた心理相談の「認知行動療法」のプログラムが昨日ついに収束と相成りました。主治医にまだ報告はしていません。
今後は主治医に生活上の注意点をよく聞いたうえで、次のステップ(就労移行の作業所)にいけるかどうかを私が試すことになります。主治医のゴーサインが出たら、久しく書いていない履歴書を書くので緊張しています。
取り急ぎご報告まで。 失礼いたしました。
そうですよね。お金の流れや、勤務時間をきちんとつけるって大切だなぁと
ニュースなど見て最近よく思います。
雇用保険、勉強しなくては。
クラブ718さん、のんびりでいいと思いますよ。
まず、生きていてくれれば親は嬉しいのです。
取りあえず息子には、言いましたけどね『無理するな』は大事な事です。
働いたら、1千万貯めるのは楽勝ですが(訳の分からない詐欺に引っかからない限りの話です)
もし失業しても、自分が支払った雇用保険で貯められるし生活できることは頭の片隅にある
といいです。私は失業後に雇用保険を受け取り損ねる失敗をし、それから家計簿を丹念に
つけるようになりました。
本日時点で1千万貯めていませんが、近い将来私は社会復帰したいと思いつつ、
持病の治癒に専従しています。
長男が春から働き始めるので
通帳ができたら、引き落とし類や自分の物のお金は払ってもらおうと思ってます。
(当たり前だよね)
それから、月々少し入れてもらおうとも、家にいるのでね。
取りあえず「1000万溜めろ」とは言い渡した。
どうなるかなぁ・・・・
そうそう、相談する相手を見極めるのが
とても大切で難しい。自分だってそうですし。
ほんと色々な世の中です。
親から貸した奨学金なんて、親から教育費を出してもらってる子もいるわけだし、なんで自分だけって思うかもだったけど。
子供が小学生くらいの時から、「高校卒業してからの進路の学費は自分で奨学金を借りること。足りなかったら親から貸すけど、支給するわけではない。」というのを何かの話の時に伝えてきたから、今は実行に移してる。
自分のお金を守ること、生きるのにお金がかかること、しっかり我が身で知っておかないと、後々大変な事例を見てきてるからなぁ。
子供たちが高校になってからは、「先生も人間だから、それぞれの正義がある」ということを伝えて、自分の正義はなんだろうって常に考えさせてるかも。ルールを守るのは大切だけど、正義はそれぞれ違うからなぁ。というのが私の正義かも。
なんか、子供が社会人になってから、先生が我が子に見えると言うか・・・なんかいっちょまえに子供を育てようとしてる!って、私の親も私が子供を産んだ時に思ってたのかなぁ。