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五飯田八宝菜の語学学習日記


ゴタぴょんの日記 2015年1月13日(火)Ⅵ

Ⅰ月13日(火)Ⅵ

Ⅴからつづく


   【岡崎へ】


  「疎水を見てみたい。」、
   というお客様のリクエストにお答えして、
   岡崎へ向けて出発します。

  岡崎というのは、元、貴族が好んで住んだ高級住宅地。
  東京で言えば、青山かな?
  神戸で言えば、芦屋。
  大阪で言えば、豊中。
  ネコで言えば、カゴの中。

  そこには、
  平安神宮があります。
  京都会館(よくコンサートがある)があります。
  美術館もあります。
  動物園もあります。
  
   ヾ(@^▽^@)ノ

  平安神宮で、下車して、写真を撮ります。
  広い平安神宮ですが、これでも、794年の大極殿の
  5/8のスケールに縮小されています。

  なぜ、ケチったのか?
  遷都1100年を迎えた1894年は、
  その年勃発した日清戦争により、
  巨額の戦争予算を計上し、  
  お金をたくさん使ったらしくて、
  こちらの事業の予算がへつられたのだそうです。

  まあ、そういう都合があって、1100年に、1年遅れて、
  1895年に遷都1100年を記念して建てられました。

 
  (-^□^-)


  
   ・・・ところで、
  ゴタ、この説明を勘違いしていて、
  お客様には、1905年の日露戦争の話をしていました。        


   【学習】

  平安神宮は、日清戦争のため、
  小さくなった。5/8になってしまった。
  
  以上のことから、次なる教訓が導き出される。

  
   【教訓】

  けんかをすれば、けがをする。戦争をすれば、お金がなくなる。
  人の世は、仲良く暮らそう。


   【標語】


  争いは 金がなくなる もといなり
  心はひろく なかよく暮らせ (山田寺住職クマモン僧正)


   【南禅寺へ】   


  平安神宮の前の通り、冷泉通を東へ。
突き当り、岡崎道で、右折。
  仁王門通を左折。疎水沿いに、南禅寺前へ。

  この疎水は、琵琶湖疎水と言われる京の一大運河です。
  

   【南禅寺山門】


  石川五右衛門がこの山門の上から、京の町を眺め、


   「絶景かな。絶景かな。」


  と、毎日眺め、暮らしていたのだとか。

  ただし、それは、歌舞伎狂言、「楼門五三の桐」 での話。

  では、実際のところは、どうだったのか?  

  事実としては、山門は、
  三重県津の藩主、藤堂高虎が、寛永5年(1626年)に
  建てたとされている。

  一方、石川五右衛門は、
  1594年(文禄3年8月24日)10月8日に、
  三条河原で、一子と共に、釜で、煎り殺された。  
  現在は、円山音楽堂南、真葛が原、大雲院の墓に眠る。
  
  五右衛門の活躍した時代、
  南禅寺は、応仁の乱で、伽藍を
  ことごとく失っていた。

  南禅寺が復興するのは、江戸時代に入ってからのこと。
  なので、五右衛門が、上がれる山門は、
  存在しなかった、ということになる。 

  南禅寺は、崇伝が1605年に
  この寺に、入寺するまで、復興は
  なかった。

  徳川家康の側近だった崇伝は、

   「黒衣の宰相」

  と呼ばれるほど、
  家康の下で、外交は、もちろん、社寺統括など、
  さまざまな政治手腕を振るった。

  さて、山門に、登ります。
  登門料金は、ひとり、500円。
  二階建門の上層は「五鳳楼」といいます。

  内陣には、大坂の役で、戦死した位牌を祀る。
  須弥壇には、釈迦如来像と、十六羅漢。

  天井画は、狩野探幽の筆。天女と鳳凰が描かれている。

     (-^□^-)

Ⅶにつづく
ゴタぴょん




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