西郷どん 感想文
- カテゴリ:テレビ
- 2018/08/27 16:46:21
西郷どん 第32回「薩長同盟」
NHK 日曜夜8時~
▼兵庫開港要求事件
今回は、ついに第二次長州征討の勅許が出たことと、坂本龍馬らの仲介により
ようやく薩長同盟が結ばれたところまで描かれました。
まず序盤の話ですが、兵庫に外国の艦隊が現れ京都中が騒然とし、
その後吉之助が長崎の海援隊の事務所に訪れ、武器や艦船を買い付け長州に米と引き換えに
売り渡すという順序でしたが、ちょっと違います。
下関の約束をすっぽかした吉之助は、京都ですぐ龍馬に武器や艦船を買って長州に売ることを承諾、
その後に兵庫に艦隊が現れ、それから米を長州から買うことにしたようです。
そしてこの時一度薩摩に戻っています。
まぁ順番に関してはさほど重要ではないですが、この「兵庫開港要求事件」がちょっぴり重要です。
ドラマでは慶喜がフランス公使のロッシュをそそのかして、勅許を得るために朝廷を脅そうと
兵庫に行かせたように描かれていましたが、公使側にも大きな動機があったのです。
有名な英国公使のパークス主導で、日米修好通商条約で1963年に開港予定だったのに、
孝明天皇が京に近いという理由で、どうしても嫌がって期限を先延ばしにした、
兵庫開港を前倒しにしようと、朝廷に迫るために行ったもので、英仏蘭の3カ国の艦隊と、
アメリカに公使がそれに乗っかる形で兵庫港に侵入したものでした。
一方幕府は、前回の感想でも書きましたが、将軍家茂が重い腰を動かし、各藩から募った
総勢6万の兵を率いて入京しましたが、大久保らの工作で朝廷がこれに屈しなかったことから、
4カ国艦隊の兵庫港侵入を利用した上、将軍が辞職すると脅し上げたというわけです。
何と言うか、ドラマでは家茂の部分がかっぽり抜けていたような気がしますね。
▼薩長同盟
ウィキペディアには以下のような文章があります。
「1月21日、小松邸で坂本を介して薩摩藩の西郷、小松と長州藩の木戸貫治が6か条の同盟を締結した。
他の薩摩側出席者は大久保、島津伊勢、桂久武、吉井友実、奈良原繁。」
つまり薩摩側は西郷、大久保、小松と錚々たるメンバーが揃っていたのに、
長州側は木戸(桂)の1人しかいないのは何故でしょうか?
ドラマでは伊藤もいましたが、そんな叙述があるサイトはありませんでした。
どうもこの時の密約は、後日木戸が書いた手紙からしか確認できず、
参加者もはっきりしないようなのです。
なのでこの日に両藩の間で言い交わした内容は、同盟というほど大したものではなかった
という説もあるくらいです。
また京都の小松邸(お花畑屋敷)ではなく京都の薩摩藩二本松藩邸だったという説もあります。
とても有名で重要と思われる薩長同盟に関して、現在伝わっている史実が、
実はこのくらいのレベルというのはちょっと驚きですよね。
なのでドラマとしては逆に作り放題ですよw
確かに今まで見てきたドラマのこのシーン、結構いろいろあるんですよねぇ。
▼将軍上京の意味
ドラマを見て、いろいろ調べているうちに、とても疑問に思ったことがあるので書いておきますね。
それは、何故幕府がここまでして強硬に、2回目の長州征討をやりたがったのかということ。
そのために、以前なら絶対踏み切らなかったであろうと思われる、将軍上京を行っています。
しかもそれで家茂の寿命を縮めてしまうのです。
どうして絶対やりたがらなかったかというと、それは莫大な金がかかるから。
当時幕府の財政はかなり逼迫していたはずなのに、それを圧して、しかも6万の手勢を率いての
上京ですから、軍の維持のためにもかなりの金がかかったはずです。
その後負けてしまうことまでは予想がつかなかったとは思いますが、
どうしてそこまで金をかけて長州を叩きたかったのか。
雄藩に担ぎ上げられ調子付いている朝廷に対し、日本で政治を行えるのは
幕府しかないことを思い知らせるためにしても、金かけすぎのように思います。
この頃の幕府は、幕政を維持するために、日本の行く末を見失っていたとしか思えないのです。