結婚を決めた理由
- カテゴリ:恋愛
- 2018/06/09 16:19:50
先ずは自分の決断を褒めてあげたい…。
ナンテ^^;
超が付くほどの奥手の私でも結婚できたこと自体がまず奇跡。
男子が苦手で女子高へ行きたいと親に切望したけれども叶わず…で。
男女共学でした。
最初に就職した会社は鉄鋼メーカーで、廊下をすれ違う社員は男性ばかり。
エレベーターに乗れば、やはり男性ばかり…。
緊張のあまり、エレベーターを降りるまで息を止めていることもありました。
廊下を歩いていて向こうから男性社員が来るのを見て、階段へ逃げたことも
ありましたっけ。
恥ずかしさのあまり、男性が苦手でした。
(自意識過剰なんでしょうね、きっと^^;)
そんな私に浮いた噂もなく…男性とお付き合いすることなく30歳間近となり
高校時代の同級生から「お見合しに栃木に来ない?」と声がかかりました。
(友達は栃木に嫁いでいました)
お見合いを設定してくれた友達からは「子どもはこうして出来る」と高1の時に
教わったんですよね。
あまりにも何も知らない私を心配してのご教示だったようですが
私には信じがたい内容でした。
それで「うちの両親は絶対に違う。私は人工授精で生まれた」と言い張って…。
友達を困惑させてしまいましたが「う~ん。違う気がするけれど、まぁ」
と、友達が折れる形になりました^^;
お見合い話はとんとん拍子に進みました。
10月末に引きあわされ、その年のクリスマスイブに入籍し翌年の3月2日に
式を挙げました。
主人と義母の二人暮らしの家に同居する形で生活がスタートしました。
一人っ子の主人が結婚の条件として挙げたものは「同居してくれる女性」でした。
私は結婚への憧れや条件といったものに強い思いはなかったのですが
酒乱とマザコンは避けたいとの考えはあり、それをクリアしたのが主人でした。
とは言ってもお付き合い経験のない私にわかる訳もなく。
直感と言いますが、自分を信じて結婚したような部分もあります^^:
お酒は大好きな主人ですが、飲んでも変わらず穏やかな人です。
長い間、母一人子一人で暮していた生活でしたが、義母にも私にも公平で
どちらに付くということもありません。
案外、難しい立場だと思うんですよね…。
(私だったら自分の親とも同居したいと思いません、大変だと思うので)。
主人がフェアな審判でいてくれたので15年間、同居していられたのだと思います。
義母を含め近所に住む義母の姉妹のキャラの強さと言ったら…でしたから^^;
同居の後半は様々なことがありましたが「嫁に来てくれた」と義母が
大喜びして大事にしてくれたことへの恩はありまし、感謝しています。
今年80歳になった義母は近くの介護付き高齢者住宅で暮らしています。
随分と認知症が進行してきているようですが、日々の暮らしが穏やかで
ありますようにと願います。
そうなんです^^
私の母も確かお見合いです^^
奥手だったのでお付き合いした男性はなく…化石のような生き物だと
我ながら思っていました^^;
気持ち悪がられなくて良かったです。
最後になりましたが感動していただき、誠にありがとうございます^^
素敵な旦那さまと出会われて
よかったですね❤
ドラマだなあ~と感動しました。
義母は主人とは随分と性格が違い、びっくりするような言葉が『ポンっ!』と口から
飛び出す人です。
施設に会いに行くと認知症が進んでいる現在でも同じ…。
出てくる言葉は人に対する悪口がほとんどです。
でも、そういう義母でも晩婚だった主人と結婚した私を義母なりに大事に接してくれたことは
理解でしました。
色々とありましたけれど…^^;
同居の後半はお互に良くない雰囲気となり残念ですが、やることはやったと思っています。
義母へ改めて感謝する気持ちがモテるようになったのは別居して7年にもなった今だから
こそだと思っています。
主人の実父は早くに亡くなってしまい、手元にある写真も1枚しかありませんでしが
全体的な雰囲気は主人に似ていると思います。
義母に言わせると「少し猫背なとkろも、おやじ(主人の実父)に似ている」のだそうです。
自分の親は別として、他の誰かから必要とされていると感じること
私はなかったように思います。
改めて振り返って…そんな風に感てしまいました^^;
でも、ここの家族は私を必要としてくれましたし歓迎してくれました。
自分にとっては初めてに近い経験でしたから、心から嬉しかったです。
必要としてくれたから、ちっぽけな私の勇気もちょっとだけ大きくなれました^^
幸せの形はいろいろあるけど、自分以外の誰かを大切にして、自分以外の誰かから大切にされることって、大きな幸せの一つだと思います。
私の友達は皆、結婚していましたが同居している人はいませんでした。
義理の両親だけでなく自分の両親とも。
一抹の不安はあったにせよ、同居するということを本当の意味で
わかってなかったんでしょうね^^;
結果的には、それが良かったんだと思います。
それだけでもしのみぃさんの辛抱強い性格が良くわかります。
旦那さんもそれに関してはとても感謝してるのではないでしょうか・・・
今までも、いや現在も色々と苦労した分、この先、少しでも穏やかな
生活が送れることを祈ってます。
生まれながらの性格も、もちろんあるのでしょうが…育ってきた環境も影響が大きいと
思います。
主人は一人っ子ですが、幼い頃は近くに住んでいる伯母の家に早朝から預けられ
いとこ達とある意味兄妹のように育ったそうなので、寂しい思いは最小限に抑えられたようです。
私が姉とのことを話すと「きょうだいが欲しかった。羨ましいよ」と言います。
お姑さんも同居してのスタートでした。
結婚してわずか数年で主人の父親が亡くなり、義母は主人を連れ婚家を出てしまった為
お兄さんのその後のことは一切わからず今に至ります。
主人が物心つく前に義母は再婚しました。
お互いに子供を連れての再婚で養父と義母は15歳も離れていた為、あちらの子ども達は
既に成人していて義母とは10ぐらいしか離れておらずで、上手くはいってなかったと
子供ながらに感じていたそうです。
養父の事は実父と疑うことなく育ったそうですが、友達のお父さんと何かが違うと思っていて
高校受験の時に真実を知り、愕然としたと言ってました。
精神的に落ち着ける生活を幼少期に送れなかったことで、未だに冗談でも「出て行っちゃうよ」
と、いうような事を言われたとしたら不安で不安で堪らなくなるんだそうです。
「だから、そういう事は言わないで。不安で堪らなくなるんだ…」とポツリといった事を
忘れることは出来ません。
確かに私たち夫婦と似てる気がする。
うちの旦那も長男だったし
後妻のお母さんを難しいお父さんと二人きりにするのは忍びないからと
同居できるパートナーを探してましたからね。
親が好きだったから同居したかったわけじゃなく
親の面倒を見なくちゃいけないから同居、という部分がしのみぃさんと似てるかも。
うちの旦那も穏やかな人。
ただ、しのみぃさんとこと違ってアルコールが体質に合わないので
めったに一緒に飲めないのが、私は残念ですw