Nicotto Town



何故虐めは無くならないのか。


何故虐めは被害者が死ぬ前に解決できないのか。

そんな事を自分の時はどうだったのかと思いながら
考える。

あの時の虐めは高校生の時だった。

既に子供じみた幼いから判断が出来ない残酷性は無い。

理性と知性で苛められている人を助けもせず
見て見ぬふりをする。

其れはクラスで苛めている人達数人と苛められている人の問題で
自分達は高校生位になると傍観者でも無くなる。

全く自分達とは関係の無い問題として無い物として扱う。

其れを利用して虐めはますます陰湿になる。

虐めをされているクラスメートを表向きは
私一人が助けた様に見えた。

実際は8人の連携だったのだが。

だがじゃんけんで負けて私が何気に話しかける役をやった。

そして苛められていた彼女は私にすがりついた。

上手く言った様にも見えた。

其れが私に虐めが向いた時に
其の虐めのやり方が白日にさらされた。

何故なら私は甘んじて其の虐めを受けるタイプで無かった。

中学の時は入って早々に女不良の標的になった。

女子トイレは彼女達のたまり場になっていて
中3に成ると受験で不良たちは孤立して
無視されて大人しくなる。

一年目が格好の餌食になる。
要はパシリになりそうな人を作るのだ。

で、私はすぐに目を付けられた。

屯っていようが平然とトイレに入って行く。

出ようとするとふさがれた。

「?」の世界である。

ちょとしたイザコザの挙句に私を怒らせた。

申し訳ないが女子相手なら私は腕力に自信があった。

喧嘩にもまだ自信があった。

小5位までに男子と一対一で喧嘩して勝っていた。

小6卒業まじかに一対一で喧嘩を振って来た。

彼ら曰くどうしても卒業前に私に勝っておきたかったそうである。

結局何人目かで負けた。

彼らは狂喜乱舞の喜びようで在る。

1人1人日にちを開けたらまだ私が勝っていたかもしれないが
黙っていた。

要は子供の時から近所の男の子に交じって遊んでいたので
彼らについていけなければならなかった。
常にギリギリの体力で頑張らなければならなかった。

其の為に私は必死に食らいついて行った。

家でも鴨居にぶら下がって懸垂の様な事をしていた。

直ぐに屋根に彼らと同じ高さの所へ登れないと置いて行かれる。

背の高さが違うのでしばらくすると鴨居で自分の手で自分を持ち上げて
直ぐに背の高い彼らと同じ速さで登れる練習をした。

屋根から落ちると怪我をした。

詰り目的地まで最短で行こうとすると屋根に上がって
最短ルートで目的の場所へ行っていた。

其れが出来ないと一緒に遊ぶ事は出来ないのだ。

屋根の高さはそれぞれ違っていて塀の高さも違う。

其れを素早く彼らと同じ速さで出来ないと
落ちて泣いて居ようが置いて枯れて泣いて居ようが
戻ってきて引き上げてくれる等と言う事を
小学生の男子がする訳がない。

どんなに泣いていても何時まで経っても誰も来ない。

彼らは私の事など忘れて散々目的地で遊ぶと
さっさと自分の家に帰る。

遊ぶ目的地は其の日によって違うので

置いて枯れて遊べない日もかなりあった。

其の為に私は何とか追いつこうと鴨居で懸垂をして
箪笥の上にあがる練習をして
出来るだけ一緒に遊べる様にした。

其の為に小5までは同学年の男子は喧嘩で勝っていた。

だから男子の喧嘩の仕方を覚えた。

で、中学一年の時はまだ其れが身についていた。

で持って私の前の行く手を塞ぐ女子等を殴るのも
次に何をするのかも男子の喧嘩の動作で解っていた。

で、相手は血だらけに・・・。

中2に成ると目覚めた。
私は美人ではないが胸を大きくしてウエストを細くする事にした。
其れを其の後に東大に入る頭の良い男にお金がかからないで
そんな体にするにはどうしたら良いかと聞いた。

で腕立て伏せで胸を大きくして腹筋でウエスト補足して
階段をつま先歩きで登ってお尻を上げる事を教えて貰った。

せめて「脱いだら私凄いんです」と今風だとそれでもてようとした。

だから中2で中3の先輩にタイマンで勝負した時に
マジで相手は腹を殴って吹っ飛んだ。

あっけなかった。

ひっかいたり、ひっぱたいたり、くんずほぐれずの女同士の喧嘩は
未だにどうやったら良いのか解らない。

なんか、体が触れ合って見ていて気持ち悪い。

で、有るからして高校に入っても其れは内心は持てようと
続けていたので・・・。

それでも高校に入ると少しは控えめにする事を覚えたが
たまに出てやばいと言う時も在ったりもして
中が良い人達は其れを知っていた。

多分其の大人し目の苛めていた子は知らなかったのだろう。

机に「死ね」と書かれていた。

そう言えば、記憶中で誰かの机にそう書かれているのを見た様な・・・。

此れは何のメッセージだろう。

何かの「謎解きだろうか?」。

遠巻きに数人が見ている。

で返事を「死ね」→「と言われても・・・」。
で書いた相手が読んでくれなきゃならないので
中の良い子がどうする?と聞いて来たので
「返事を待ってみる」と言ってほおって置いた。

で、教科書にも今度は書かれていた。
何とラッキーなのだ。
私は授業初めに手を上げて「勉強をしたいのはやまやまですが
諸事情が在りまして教科書が使えないので自習とさせて頂きます」と
言って何か別の事をし始めた。
何をしたのかは覚えていない。
当時は編み物が流行っていたので其れを教えて貰って其れをしたのかも
知れない。

教師は教科書を見て誰がやったのかと騒いでいたが・・・。

教科書が破かれて居たりもして私は事情を言って其れも自習に
して、何か別のやりたかった事をやっていた。

机の中にゴミを入れようとした跡があったが元々ゴミだらけだったので
入らなかった様だ。

次に机の中のゴミが机が倒されて居て全部出ていた。

私がした事で無いので必要な物だけを拾って
後は其のままにして置いた。

で、其の大量のゴミは掃除当番が片づけてくれた。

靴が無くなった。
で、そう言う靴が大量に届けられている所から一番良いのを選んだ。

誰かが新しい靴に嫉妬して投げ捨てたのだろう。

そう言うのが届けられて年々貯まって居たのだ。

体操着も殆ど家に持ち帰らなかったので私のは可なり汗臭かったが
良いのが貰えた。
良い匂いがして体育館に行くとお前のじゃないと直ぐに仲の良い子にバレた。

いや~、本当に虐めは性質が悪いよ。

普通は臭いとか、汚いとか言われて居そうだが、
恐くて言えなかったと言う私を其の大人し目の人達は知らなかったのだろう。

「死ね」の返事は何時まで経っても来なかったので
「そう言われても死ぬ気はありませんので返事を下さい」とも
書いて置いた。

でも返事が無いので探す事にした。

堂々と休み時間にお前か!?と聞いて回った。

で、どうも様子が違うと担任も勿論、
知っていたが、私は面白いから此のままにして置くと言った。

一年の時に私と同じクラスだった子達が
明るくからかいに来た。

「いや~、見ものだねぇ。w」と言う感じで在る。

ゴミだらけの机の周りを見て、其れ又おお笑いで在る。

私も「勝手に笑ってろ!」と追い返したり、

皆で其のゴミを足で蹴飛ばしてひっちらかしたり
足で避けて隣奴の所に押しやって戻されたりとして
随分広範囲にゴミが散らかって放課後に掃除の人が文句を言いながら掃除をしていた。

私を知っている教師達は余裕で事の成り行きを見ているが、

よわっちい教師は明らかに見て見ぬふりのおどおどぶり。

其の内に掃除が大変だから好い加減にしろと私に文句。

で、少し本性を見せた。
教室の物ちょっと壊れた。怯えていた。




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