Nicotto Town



此の際、此の歳になったのだから


好きな女優の一人が無くなった。
出来過ぎたかまととぶりも嫌味に見せない毅然とした誇りを感じさせた。

私は彼女の其の毅然としたかまととぶりが好きだった。

彼女は明らかにスターだった。
其のちらちら見えてくる努力とそして天性の才能は
文句なく同性の私から「好きな女優」と言う言葉を引き出した。

彼女のもしかして違うかも知れないが長谷川和夫を含めた
男関係を別に気にもしてない夫婦関係も其の他の色々な
週刊誌の噂など「其れが?」でさらりと終わらせそうな毅然として
対応が出る雰囲気も「粋」だった。


小学校高学年になってひょんな事から私が「例の犬にかまれた」と
言う事が噂の的になっていた。

一人の女友達の家に遊びに行って男の子と間違われた私は
其の女の子が「犬に食われた」過去を大人の噂話で聞いた。

私に聞かれた事で其の女の子は泣いた。
其れでも変わりなく友達でいて欲しいと其の親に私達は頼まれた。

其の時に私は「私もそうだからきにするな」とあっさり言った。

其の後に其の噂を広めたのは卑劣な女子達だった。

其の家の親からうちの親に私に「犬がかまれた」と言う意味が
解られた事を詫びる電話が在った。

クラスで孤立した私を救ったのは男子達だった。

何を正義ぶっているのかとぶぜんとする事をやった男子がいた。

「俺はそんな事は気にしてない。俺の嫁さんにする」と宣言をして
クラスの教室の休み時間にみんなの見ている前で私をレイプした。

唖然として何が起きているのか何を此の男はやっているのか?
男子の何人かで其々の親の説得で女子の対応を批難して
その挙句にやった行動にしては私はありがたいよりも
唖然として意味不明な行為に抵抗をする前に「???」であった。

誰かが先生を呼んで来てクラスのハチの巣をつついたような大騒ぎは
収まったが。
男子達は口々に女子が悪いと自分達を正当化した。

詰り女子から孤立した私を親に説得された男子達の一部が
昼休みの遊びに混ぜてくれていた。

其れに女子の一部が反発した。

其れに対しての抗議が私を嫁さんにすると言う証拠の行為に及んだらしい。

其の後の親の説明会とやらで一部の女子が私に誤って来た。

更にもう一人ずっと孤立していた女の子にも大人し目の女友達が出来た。

だが、私はそれで小学校低学年から何時も傍に居て
放課後遊んでくれて結婚の約束をした男の子も含めて近所の幼馴染の男子を
結婚の対象から自ら切り捨てた。

そう言う事なのだと何となく思った。

私は毅然と彼らを遠ざけた。

そして大人になって大学時代に知り合った男と結婚して子供を育てていた。

勿論大学時代は団塊の時代である。

女子学生は小生意気な自称自立した女で無節操に生きる事が
「アンニュイ」で「メランコリー」で「虚無」で所謂馬鹿だった。

髪をワンレンにしてハスに構えて煙草をふかして
何でも既にしっていてそして世の中を上から目線で見ている言葉を
たばこの煙と一緒に吐き出していた。

結婚した相手も処女と道程じゃ無い事は御たがいに解っていた。

だから結婚した後も「昔彼と一度だけ」と言う女が態々言ってきたりしたが
「ふ~ん」で終わった。
所謂元カノの中ではあんたは可愛い方だと思うとか何とか言った様な・・・。
別の人に其れを言ったのかも知れないが
態々言って来たのは其の子だったと思う。

だが、結婚してからも色々とやってくれたが、
元カノにこっそりと同情する様な言葉を言われたが
時代的に少し前の世代は男はそれが普通の世代で
家に帰ってきているのならと言う世代で
其れでいちいち悩んで居てもと言うふんいきだった。

更に私の在る事無い事を態々言いに行く奴も大勢いたしね。

其れよりも生活に追われていた。

二人の時は良かったが子供が出来るといっきに生活は困窮した。

其れでもまだ奨学金の返済を免除されている時期は良かった。

免除機関が在った記憶がある。
兎に角私が働いても幼い子供が二人だと此のまま生活を続けるのは難しいと
言う事が解った。

其れは下の子が熱を出しても病院へ連れて行くお金が無くて
何とか連れて行った時に肺炎を併発していて其れが少し持ち直しているが
危なかったと言われた時に私は決意をした。

此のままでは子供を守れない。

其れなら母子家庭になった方が子供の医療費は当時は何歳までかは
忘れたが無料になった。

其れを言って二人で相談して奨学金返済が済んで
生活が出来る様になったらまた一緒に生活をしようと決めた。

私から其れを切りだした。
私は母親になっていた。

別れても気持ちは変わらないとお互いに
そんな「歯茎が浮く様な言葉」をお互いに羅列して
試に別居して見たのだが、
直ぐに相手に女が出来て再婚すると言う。

条件は其の家の親が養育費を出すと言う事だった。

私は勿論納得をした。

何せ其の間も例の「据え膳くわぬは男の恥」と言う考えの行動を取っていたので。

寧ろ「お世話になります」と言う気持ちも在ったのは
余程母性が強かったのか・・・。

男に対して愛情が無かったのか・・・。

で、母子扶養手当と養育費と更に私は仕事を二つ掛け持ちで
働いた。

数年たった時に母が元夫に偶然会って何故別れたのかと聞いた。

すると生活が出来なかったと言われた時に
母は帰って来てから何故其れを言ってくれなかったのかと泣いた。
幾らでも援助はしたのにと言った。

母は「さくらと一郎」の「昭和枯れすすき」を聞くと
私の事を思って泣いて「私が気が付かないでふびんな事をした」と言った。
私の方がそんな母を慰めていて・・・。

アメリカで今高学歴のホームレスが増えていると言う。

奨学金が返せないで家賃が払えず家が無く路上生活をしていると言う。

日本でも奨学金返還破産が出ていると言う。

娘の知人達も奨学金を返す為に何人かで奨学金の返還を済むまで
シェアハウスをして家賃を定額で押さえて返還している人達がいる。

また結婚をするので奨学金を両方が貰っていたので
生活できないので夫の実家に同居すると言った人達も居た。

此の長い不況で金利が此の時代にあの奨学金の返還利息は無いだろうと思う。

私も当時思ったのだが、初任給から考えても実家に住んで無いと
返還は無理だろうと言う金額だったと思う。

詰り大学を卒業して就職したからと言って奨学金の返済が在ると
一人暮らしでもキツイと思う。
まして結婚して子供が出来るととても生活は出来ない。

せめて利息を無くすとか、返還は半額にするとか
勿論返還を無くすとか、給料や生活状況によって返還金額を減額にするとか。
そう言う制度にすべきだと思う。

当時は共稼ぎでも女の給料はたかが知れていた。

働いても高額な保育園費に給料が高くなると減って行った。

子供が病気になると医療費が一番きつかった。

離婚してかなりたってからクラス会が在った。
其れまで長い事顔を出して無かったがどうしても私に来て欲しいと言われた。

仕方なしに行くと当時の女子達が渋々呼んだ男達を二次会に呼び出して
あの時クラスで私をレイプした男に土下座をさせて誤らせた。

彼が別の女性と結婚した事を知って当時責められた女子達が
許せないとなったらしい。

その~、気持ちはありがたいが当時も今も私は彼を選ばないから、と
言いたかったが、其れは黙っていて許すと言う意志だけは伝えたけど・・・。

まあ、気持ちがありがたいけど、
何だかなぁ~・・・。


取りあえず奨学金は無利子か減額にしろ!
保育園費は安くしろ!
防犯カメラはもっと設置しろ!

総てに置いて「日本ファースト」を徹底させろ!











月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.