伝統
- カテゴリ:日記
- 2018/04/06 23:00:18
俺は伝統は大切なものだと思うし、大切にしたいとも思う。
確かにこの時代にって思うようなこともあるだろうけど、それも含めてのアイデンティティーというものあるかなと・・・
ただ、アイデンティティーを守りたいのならそれだけの実力が必要となるとも思ってる。
人の命を助けるために女性が上がってきた。
その女性が来る前に救命処置をとることが出来れば、この問題が発生することは無かったんじゃないか?
伝統を重んじるのなら・・・
行司は帯刀を許されていた。
これは勝敗の判定に命を懸ける覚悟があるということらしい。
土俵上の判定に命を懸けられるほどの覚悟があるのなら、土俵上で起きる出来事に対処できる力と自信を持ってもらいたいものだと思う。
親方連中だってそうだ。
部屋を持って、他人の子供を預かっている立場のくせに真っ先に行動できないのは情けない。
俺は時代に合わないと言われても、伝統を守るのは必要と思う。
でも、実力の無いのが、伝統、伝統と鼻息荒くしてもチャンチャラおかしいとも思う。
結局、実力も自覚も無い頭でっかちが幅を利かす時代になった現代においては伝統が時代遅れになったと感じさせるんじゃないんだろうか。
そうそう。
土俵に塩をまいたってことも問題になってるね。
あれって、女性が上がったからまいたのかっていうと、そうじゃない可能性の方が高い。
特に相撲の場合だけど・・・
怪我や事故があった時に塩をまいて清めることをよくする。
まぁ、テレビでは放映されない場面だから知らない人も多いし、
最近の相撲界の報道の経緯から、ダメな目線で話した方が皆の喰いつきが良いという事で変な目線で見えるようにしてるんじゃないかと思う。
実は俺って小学生の頃相撲部だったりするw
相撲大会で怪我した子が出た時に結構な塩をまいていて・・・
あそこですりむいたらしみそうだと思った記憶がある。
その場所に宿ってしまった不浄なものを払う行為なんだよ。
もし、病気や怪我が穢れたものなんだったら、怪我や病気に塩をまくだろうと思うよ。
確かに女性蔑視の意味なのかと最初は思った
でも本当の意味を知った時思ったのは
病気や怪我は穢れたものなのか?
誰だって病気や怪我になることがある。
逃れらえない宿命だと思う。生きてる限り
果たして自分が倒れた場所に塩が撒かれたことを知って良い気分がする人がいるだろうか?