Nicotto Town



ごく普通の日本人の家庭に育ったと思う。


だから当たり前に神棚が在って仏壇が在った。

近所の色々な家にも学校の友達の家にも当たり前に在った様に思う。

お正月に餅つきが在ったり鏡割りがあったり、節分があったり
シチゴサンが在ったりと近所もそうだったから当たり前にあった。

其れは何百年も或いは千年以上続いて来たのだろう。

なのにまた出てきた「明治になってから神社に・・・」と言う奴である。

江戸幕府が近所の神社に行って行けないと言うおふれを出していたなど
聞いた事が無い。

だから色々な所に祠が在るのである。

其れは関所が在って勝手に他の土地に行けないからである。

其の為に「お伊勢まいり」だけは許可を貰えば出来たのである。

「東海道中ひざくりげ」等はそうやって許可を貰って旅をした人の事を
書いた江戸時代の小説である。

其れよりも「時代劇」を見れば普通に神社に人が行っているし
祭もやっているでしょう。

神社でお参りをしている人は日常的に「時代劇」に出て来るでしょう。

其れだけじゃない「ぶらたもり」をみていれば「神社や寺」が大きな其の地区の
役割をしていたことが解るでしょう。

なんか、其れをブログに書いて来た人に露骨に何時日本にきて
日本の歴史を小学校で習わない環境で育ってどんな「偏向本」を読まされて
来た環境なのかを解るような事を散々論破十年前に其れを日本人のブログに
書いて論破されて来たのに十年以上前に既に散々私に多くの其れを書いていた
掲示板を粉々に粉砕されてきたはずなのにまだ生き残っていたのかと
呆れる。

先ず哀れな奴は「芸者とは何ですか?」と其の掲示板の主に質問が書かれていて
返答が「売春婦」ですと答えている。

すかさず「お前は日本人か!?」と私の書きこまれた。

芸者は「芸」を売るから「芸者」なのである。

勿論高額で話し合いによっては、或いはごひいきさんによっては体の関係を
持つ事もあるが、其れが前提の仕事ではない。

其の違いを「さくらん」と言う遊女の映画を見れば解るだろうし、
「時代劇」で「遊郭」が出て来るので解るだろう。

「遊郭」に芸者は入れないが「さくらん」では「舞台を作って芸者を雇って
踊りを踊らせる」と言う贅沢な遊びをしているお金持ちがいたが
詰り「芸者は黒い留袖の高級な着物を着て日本舞踊を見せる」ので在って
体を売るのは「遊女」である。

其れ以外に違法に体を売る女が「河原女」も在った。

完全に「売春婦」と「芸者」は職種が違う事位は中学生、高校生くらいになると
色々な本を読むようになったり修学旅行で京都に行ったりする前に
「旅の学習帳に芸者、舞子の説明書」に書いてあったりする。
で、其の時に舞妓さんがいたりしたら勝手に写真を撮ってはいけないと
言う事も書いてある。
其れは誰もが勝手に写真を撮られるのは失礼だと思うように
同じ事だと注意書きに私が修学旅行に行った時だから何十年もまえなのだが
既に其れは「注意書き」として書いてあった。

恐らく修学旅行の設定をJTB辺りに相談するので更に数千年の歴史のある
寺社仏閣を見て歩くので勝手に色々な物に触っては行けないと書いてあったのと
同じ様に注意書きで書いてあったように思う。

子供時代にどこの家庭でも公の場所で大きな声で騒いではいけないと注意をされる。

遠足の社会見学で最初に社会見学の仕方の注意を小学校で教えられる。

そう言った日本人の家庭、社会で育った事の無い人と其れは歴然と
其の本人達が自覚して無くても出るので
子供時代から彼らを見抜いてかかわりを持つなと教えられる。

大人の話の聞き耳を立てて居れば犯罪を犯す加害者と被害者として
生活の中で区別される。
身内、本人、知人の中で少なからず被害者に成る人がいると其れが
日本人社会に注意をしなければならない事として広まる。

日常生活の中で敬語、丁寧語、謙譲語等が子供が目にする事が出来る
大人の社交辞令の中で行われる。

そう言う日常の環境の中で育って来なかった人は社会に出てすぐに
見分けがつく。

「差別」と言われても、過去に受けた違法行為の数々の被害で
私は自分も含めて自分の身内、知人が受けた事は決して許さないと
思っている。

ミャンマー人のロヒンギャ族に対する感情も何十年、いや100年はたっているのかも
知れないがそうなのだろう。

だから民主化されて一番にやって欲しい事のミャンマーの正常化の中に其れが
入っていたのだろう。

彼らが如何に残酷に殺されて行ったのかを海外の記者が目撃証言で
其れを書いているが其の記事を「当然の報い」を彼らは受けたとミャンマーの人達は
受け取っているのだろう。

圧倒的の其の行為はミャンマー人に支持されている。

そうして欲しかったのだろう。

幾ら国際社会が非難しても其れがミャンマー人の総意なら
今のミャンマー政府も国民の総意として其れを受け止めている
其の気持ちもミャンマー人の政府も理解しつくしているのだろう。

そして其の内の其れと同じ思いを善意で受け入れたバングラディッシュ人は
するのだろう。

さっそく彼らはバングラディッシュ政府が決めた居住区を勝手に広げて行って
其れを止めようとしたバングラディッシュ人との間で暴動で自分達の
意志を通し、犯罪をバングラディッシュで起こし始めた。

数十年後にバングラディッシュでミャンマーと同じ事を貯まりに貯まった
思いの中で起きるのだろう。

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2018/04/07 01:23
ラム様
おひさしぶりです。
祝福をありがとう♪
良い週末をおすごしください。\(^0^)/
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2018/04/07 00:48
ご無沙汰してます。
祝福を持ってきましたよ。
よい週末を過ごしてね~♪(*^。^*)ノ
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2018/03/31 00:16
ひふみ様
明治政府が行った「国家神道」の事を行っている様に思います。
神社とお寺を放して神社を整理したと言う事よりも「明治維新」の思想が大きく反映されて
神道をきちんと桓武天皇時代からの神社に神社とお寺がごっちゃになっていたのを正そうと
あの「明治維新」の「明治政府」の思考が入った物と思われますが、
日本人にとってはもともと神社に参拝に行っていたので、自由に関所が無くなってどこの神社に行けるように
なったと言うだけの事です。
で、我が家は死ぬまでに一生に一度は「お伊勢参りと靖国神社」に行く様にと伝承されました。
普段は安産祈願でも三が日でもどこの神社でも構わないのですが。
「お伊勢参り」以外に自由に関所が無くなって神社に行けるようになったと日本人の生活からの
日本人は解釈している様です。
其れ以外に他の家では「護国神社」も「明治神宮」も含まれている家もありますが
友人と其の話をしていて「ゴゴクジンジャ」が入って無いのに驚かれた事が在ります。
またある友人は「明治神宮じゃないの?」と聞かれた事もあります。
其々の家で関所が無くなって自由に神社に行けるようになったので
有名な神社のお祭りを何年に一辺かの家族旅行にした家も在るようです。
「出雲大社?」だったかな。余程「あちこちの行きたかった神社に行けるようになったのが
明治の人達は嬉しかった様です。其れが代々家の家訓に成る位ですから。
「お伊勢さん」以外に日本全国の有名な神社の中から一つ二つを増やした様ですよ。
其れは日本人の家庭にしか伝承されて無い事ですから、
違った環境で育った人には解らない事なのでしょう。
日本人としてはもともと近所の神社には行っていたのですから、
近所の神社の氏子ですから、其れを説明するのも其々が明治維新後に
其々の家で我が家はお伊勢参り以外にこうすると決めた事ですから
其れを説明しても何でお伊勢参り以外に其々が一生に一度の行かなければいけない神社がと
説明など出来ないし、もともと近隣の神社の氏子だし、それ以外に其々の家の家系の都合で
「出雲大社」だったり、「明治神宮」だったり。
我が家は解りやすく戦争で身内が死んでいるので「靖国神社」なのだと思います。
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2018/03/30 23:22
>明治になってから神社に・・・」と言う奴である。
それって、朝鮮半島の事ではないかな?
併合後に朝鮮に神社が出来て朝鮮人も参拝していたようだから。



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