光の王国
- カテゴリ:日記
- 2018/03/25 14:20:28
春をかんじるとき…、
桜が咲きだした。気付いたら、あちこちに、コオニビタラコ、ハコベ、ペンペン草、春はあっというまにきた。木の芽たちも、つぶらで、うまれたての色で、あいらしい。オオイヌノフグリは、春の星のようだ。ユキヤナギ、レンギョウ、タンポポ。どこか、心がふさぎがちなのだけれど、かれらをみると、ぽっと火がともるように、温かさを感じる。
たとえば、そんなこと。けれども、実は、上の文章はほかのところで書いたものからそのまま引用したもの。以下、元の文章の続きを。
きょうは、すこし、自分のことを、書いてみる。
一人遊びがすきな子どもだった。わたしはそのことをいまでも良かったと思っている。どうした事情なのかは、しらないけれど、幼稚園にいっていなかったから、小学校にあがるまで、ほとんど独りで遊んでいた。その頃のことは、わりとよく覚えている。絵を描いていたこと、紙をつかって、工作していたこと、空想していたこと、ビー玉や金色のボタンに光があたる。光の果てまで覗くことができ、その先に王国があると思っていたこと。
ただ、そのかわり、同年代の子と接することをしてこないまま、小学校にあがったので、人との距離がつかめなかった。集団となじむことができなかった。具体的にはいじめにあった。かなしいとかつらいとかはあまり思わなかった。いやではあったが、どこか冷めていた。学校とは、級友とは、距離を置くこと。彼らと接したいとは思ったが、それはいじめという壁にぶちあたることでもあったから、保身だった。あるいはいじめられている自分を、ほんとうの自分ではないと思っていたかもしれない。放課後、ひとりになって、はじめて自分に戻れる。光の王国へ入れるのだ。わたしはそのなかで、絵を描いた。散歩をした。まだ、あちこちに原っぱがある頃だ。草たちにまぎれこみ、季節ごとに花たちと出逢った。飼い猫の黒猫、ロロもいた。大好きな父もいた。わたしはやはり幸福だった。空想の王国は、逃げ場所だったのかもしれないが、そうした意識はなかった。学校よりも、その王国とのつきあいのほうが長かったから。
今日は、けれども、その光の王国のことを、書こうと思ったのではない。
わたしは、彼らと、最初から、表面上でしか、付き合おうとしなかったのだとか、彼らに向けて、言葉を発することをしてこなかったのだなとか、彼らに言葉を届けようとしなかったのだとか、そんなことに、今更気づいた、ということを書こうとしたのだ。
彼らとは、他者ではあるけれど、学校に端緒を発する、集団社会でもある。それは日常の喩でもある。大人に近づくにつれ、あまりいじめられなくなったが、本心をみせることをしなくなったからだと思っていた。それはもはや癖となってしまい、今でも、延々と続いている。あの頃の学校的な場所、勤め先その他、人が集まる場所では、事務的な会話か、上っ面の会話しかしない。あるいは、もはや会話にならない。わたしは無口になっていっている気がする。言葉が口にのぼってこないのだ。たまに反論しないといけないような事態に陥ることがあるが、そのあとで続くであろう会話を予想して、面倒になってしまい、口をつぐむこともある。
「わたしは生き延びるために書いてきた。口を閉ざして語ることのできる唯一の方法だから書いてきたのだ。無言で語ること、黙して語ること、失われた言葉を待ち受けること、読むこと、書くこと、それらはみな同じことだ。なぜなら、自己喪失とは避難所だから」(パスカル・キニャール『舌の先まで出かかった言葉』青土社・高橋啓訳)
わたしは、この言葉が好きだった。
大人になって久しいわたしは、あいかわらず、人が苦手だ。彼らに本心をみせる術がもてなかった。うわべだけの会話を学んだ。ただ、そのときどきの恋人にだけは、もうすこし、ちがうものを求めていたが。それは、社会的な意味がほとんどない、非日常に近しい存在だから。
いまも、会話というか、声にだす言葉は苦手だ。人と会話しているわたしは、ほとんど、なにかをとりつくろっている感じがしてしまう。電話も苦手だ。親しい人の電話でも、出ることができなかったりする。
ただ、最近は、もはや、声にだす言葉は、どうでもよくなってしまっている。それよりも、対象にむけて、口をつぐんで、声をかけている、その言葉が気になっている。
前を猫がよぎる。猫に心の中であいさつをする。モクレンの、あの猫の毛みたいな芽鱗、冬の寒さを守っていたふわふわの子たちは、その役割を終えて、花がさいた今は、毛をぬいで、ガクになろうとしている。その薄くなった毛にさわって、またあいさつをする。あたたかくなってきたからねえ。冬の寒さに耐えてたんだねえ。たわいのない言葉だ。紫陽花の葉、ドクダミの葉、そのほか、樹木のちいさな緑色の芽が、つぶつぶと色を持ち始めている。それらにあいさつを交わすのが、楽しい。それは幼児のころにすこし似ている。わたしはだんだん幼児に還っていっている気がする。
数日前、バイトの途中で、土筆を見つけた。川に近い、駐車場の隅でだ。うれしかった。さわった。バイトを終えたとき、もう午後五時半近くだったけれど、まだ辺りは明るかった。その周辺にも、土筆が生えていた。駐車場にほどちかい空地だった。なつかしいなと思いつつ、いつか家が建ったら、この土筆たちはなくなるんだろうなと、すこし切なくなった。そういえば、わたしが住んでいるマンションの駐輪場にも、数年まえまで、土筆が生えていたのだけれど、管理会社の方が、こまめに草むしりとか、してくれているため、今年はみえなくなってしまったことを思い出す。
いま、空地の、眼前の、土筆たち。そのありのままの姿を眼にやきつけておこう、それだけで、いいじゃないかと思った。けれど、気がついたら、土筆採りを始めていた。せっかく生えてきた土筆にたいして、もうしわけないと思ったのに。最初に摘んだら、もう、ためらいはうすれてしまった。かつて、土筆を採った記憶がよみがえる。たしか、ハカマをとらないといけないし、調理すると、少しになるんだよなとか。この街に来てからは、はじめてだけれど、過去に何回か土筆採りをしたことがあるのだった。こうした行為もまた、会話ではなかったか。過去や土筆との。せっせと採るのがおおむね楽しかった。土筆をとるときに、緑の粉が舞う。胞子だろう。指につく。それもこれも会話。
もういいかげん辺りが暗くなったので、家に戻った。すぐさま土筆の下処理、採ってきた土筆のハカマを取って、土筆の佃煮を作った。これは日常、そして非日常。無言の会話が境目でいとしい。光の王国は、こんなところに、変わらずに門戸をひらいてくれている。