庭先
- カテゴリ:30代以上
- 2018/02/05 20:28:09
庭先の椿の枝に小さな餌皿をつるした。
都会にも野鳥はやって来る、
特に冬場となると食料が少ないからかも知れない。
残り物のハチミツとナッツとバターを固めたキャラメル、
ついつい自分で食べてしまい少なくなってしまった。
野鳥にはチョットした思い出がある。
幼い頃に祖父の裏庭に大きな樫の木があった。
夏も終わりの夕暮れ時の突然の雷、
そこに巣をつくっていたムクドリの子供が驚いて落ちてきたのだ。
幼い私は何も知らずに手に取って巣に戻してあげたが、
少し経つとまた下に落ちている。
ピイピイと鳴くその鳥がかわいそうで祖父に相談すると、
いちど巣から離れ人の手に触れた小鳥は、
その匂いから子供とはみなさなくなってしまうと言う。
だから戻してやっても巣から追い出されてしまうのだと、
みんながみんなそうではないのかもしれないけれど。
そしてある程度育ったひな鳥は、
人工の餌は食べないのだと言う。
試しに私は色々と与えてみたものの、
やはり口にすることはなかった。
鳥には人のおよびがたい誇りがあるのだろう、
どんどんと弱っていくのは目に見えて明らかだった。
私は掌で看取ってやりたいと思うのはこちらの勝手だ。
だがそのひな鳥は「大丈夫 ちゃんと独りで逝けます」、
そんな声が聞こえたような気がした。
足はすでに立たないのに頭だけ持ち上げて、
しゃんとしているように見えた。
「最後は止まり木へ戻してください」と眼で訴えてるように思えた。
瞼を閉じることなく逝ってしまったその眼を瞑らせる、
切なさで視界がにじんで手元がよく見えなかったのを覚えている。
子供だった私は泣いた、
悲しみで涙が枯れるということをこの時に知った。
涙が枯れてもしばらく私は声を殺して泣きながら、
死んだひな鳥を綿でくるんで土に返してあげた。
祖父が綿玉をひとつこしらえて小枝に刺してくれた、
魂の器になるようにと、
そして、
いつしかどこかへ消えていけるようにと。
昔はお正月飾りにも紅白の玉を連ねた餅花は、
本物の繭やもち米で作られていたとこもあったそうだ。
そんな飾りも見ることもなくなったのに、
ふっと思い出したら記憶が蘇った今日でした。
おじいちゃん、小さいブラしゃんにも、自然の厳しい摂理をちゃんと教えてくれたのね。
そこに初めて触れた孫の涙ごと引き受けて。。そしてこしらえてくれた綿玉。
繭玉や綿玉という風習、わたしはよく知らないのだけれど、“魂の器” という見送り方は、
人の持つ優しさから生まれた形なのね。
子供心に悲しい思いをされたけどひな鳥を葬ってあげた
優しいブラさんの原点はここにあるのだと思いますね。
綿玉を小枝にさして下さったおじいさまも素敵です。
わたしも昔、同じようなことがあったよ。
綿で包んでお花と一緒に埋めたっけ...(´;ω;`)
おじいちゃまが刺してくれた綿玉の話、興味深いです。知らなかった。。。
心が痛くなります
自然は厳しいですね~
人間も見習わなくてはいけないのでしょうね~~('_')