嫌なモノに対する考え方と意識
- カテゴリ:勉強
- 2018/02/04 19:31:28
今回のカテゴリは「勉強」お題は「オススメしたい勉強法」ということで語りたいわけですが、なかなかどうしてサクヤは勉強が苦手だったので語りにくいところであります
まあ勉強が大好きでした~なんて人はよほど珍しい方だし、よほど子供の時に嫌いや苦手意識が目覚める前に勉強することの楽しさを見出したかによるのだと思います
嫌だ嫌だと意識がありながら勉強に限らずやり続けることは効率がいかに悪く苦痛であるかはか多く人が経験しているだろうし、今回のお題にしてもおススメしたいほど良い方法の勉強があるならこっちが教えてもらいたいくらいだーーーッ!と叫びたくなるサクヤ
さて、では何を語ろうか・・・・と思うわけですが、ここはサクヤ流の勉強法というか苦手なモノに対する考え方や意識の在り方について語ろうと思います
まず苦手なモノは苦手、嫌なモノは嫌だと半ばあきらめの境地でもって受け入れてしまおうという考え方です
ネガティブなモノに対してポジティブに行こう~という考えがありますが、それが出来たら誰も人生苦労しないし、長い人生の中で嫌なモノに対峙しないなんてことはまずないです
上手く回避するのも賢い生き方だし、勿論上記の言うたポジティブに切り替えられるならそれにこしたことはないですが、サクヤは嫌なモノを経験することもまた生きる上で大事なことだと思うんです
嫌なことを乗り越えられればその後の人生その嫌なモノのレベルより同等もしくは低いモノが立ちはだかっても過去の経験から間違いなく乗り越えられるし、それ以上のモノなら一度乗り越えられた経験からまた乗り越えよう!と考えられるかもしれません
今回のお題である勉強ですが嫌だ~苦手だ~言うたところで避けられるモノではないです
この社会で生きていくには100%必須であり、もっと言うと趣味や娯楽にしたって好奇心からくる勉強については無意識に誰しもがやっているんですよね
勉強嫌いの人はまず理解出来ないということが壁になりますが、分からないからで終わらせるのではなく、では何故理解出来ないのだ!?という疑問に切り替え追及する意識に持っていければ事は進みそうです
今やネットで手軽に検索も出来るし学びやすい環境ではあると思います
ゲームでもあのアイテムはどこで手に入れるんだろう?となった時に検索するのと同じように・・・
調べた時にその調べたこと自体が分からないなら、そこにある言葉をさらに検索するのです
そう繰り返せば芋ずる式に知識として身に付いていくことでしょう
苦手だ~嫌だ~言うたところで避けられるもんじゃない、やるしかないんですよね~
勉強が嫌いだからこの職に就いたなんて発言を耳にしたことがありますが、その職に勉強皆無で就けられるわけがないよなぁ~と多々感じたサクヤ
何をするにしても勉強しないと通用しないんですよね
ということで長々語りましたが、まあ言うてそれが簡単に進めばホント誰も苦労しないわけで、嫌だ~苦痛だ~と思ったり、悩んだりすること自体もある種勉強なのだ~と考えるサクヤなのでした
人生先に苦労したもん勝ちだとはよく言ったものです
先に苦労すれば少なくともその同レベルの苦労は乗り越えられるんだという自信にもなりますしね
まあ口で言うのは簡単ですがなかなかどうしてこの年になっても行動にうつすのは難しいなぁと思い知らされるサクヤです
苦手分野の克服は、本人の自信に相当繋がると思います。
だから、積極的に克服する道を選んだ方が、ずっと楽になると思う私でした。
どうも理科系の人間には、答えが幾つもある文化系の仕事には、苦手な部分があります。
まあ、仕方が無いから、多少勉強はしたけど、簿記の本なんて資格を取る以外は、あまりないと感じました。
それでも、法律と簿記が仕事では、自分がもっともやるべき仕事になるとは、人生分かりませんね。
ただ、簿記は、数字を扱うので、楽と言えば楽でした。
机上でいくら勉強しても身につかないこと。
逆に身体で覚えれば、まず忘れない。
法律は、特に社会に出てから役に立ちました。
裁判署に行くことにも慣れたので、昨年から続いた事件も、弁護士抜きで終わらせましたよ。
お金の面では、相当な金額のお金を浮かせることか出来ました。ラッキー。
書記官が私が書いた文書を見てびっくりしてました。
まあ、しかし、人生とは不思議なものですね。
あれほど典型的な理科系人間の私が、このような世界に入ってしまうとは。
親戚一同、みな理科系なので、異端視が異端児がいてもいいかもと思いました。
素晴らしい!
中学生でその考えに至れるとは・・・
社会に出る上で勉強が嫌いだとか好きだとか悩むもんじゃなくやらざるを得ないものなんですよ~という考え方に至れればサクヤも今はきっと・・・なんて言うと、いや今からでも始めればいいじゃん!勤勉に遅いなんてものはないんですよ?と怒られそうです
そうなんですよね~でかパンダさんは物理でのブラウン管原理が分かって学ぶことが楽しくなったんですねぇ
サクヤは中学の時にマイナスの計算が理解出来た途端一気にテストの点が倍近く上がり勉強って楽しいかも・・となった記憶が今でもあります
しかしてマイナスの計算なぞ初歩な初歩、その後またすぐに壁が立ちはだかるとは。
数学のところ読み終えましたが「嫌だ」と考えたところで何か解決しますか?って話ですもんね
当時のサクヤ、まあ今でもそんな自分がいますが言い訳して逃げてたんだなと痛感します
いやはや言うが易し・・なかなか行動に移すのは今になっても難しいです。
【物理】
学校の先生がまったくあてにならないので、すべて独学
参考書と問題集で済ませた
ブラウン管の原理が分かって自信が付いた。
【数学】
大学入試では、高校の教科書が解けても意味がない、といっても解けないと話にならない。
解けない問題は、なかったけど、楽に解ける方法を習った。
ただし、それを使って解いてはいけないルールだった。
そこで、考えたのが、その定理をまず、解いて、使って良いことにすること。
というわけで、大学の数学の教科書「線形代数」を本屋で探し、その解き方を覚えた。
高校時代も、授業のノートを取ってはいたが、たったの一度も使ったことがない。
見るためのノートではなくて、入試問題を解くためのノートだったので、見ても無駄と思っていたのかも?
とにかく、一度も見なかった。
また、数学に関しては、自分ルールがあった。
最低2通りの方法で解くこと。
例えば、複素数で解ければ、当然のようにベクトルでも解ける。
こうすることで、入試の時に、万一一つの解き方が分からなくても、もう一つの解き方ができるから。
ただ、3通にするのは、骨が要ったと記憶している。
このことは、社会人になって、プログラムを作成するときには、役に立った。
いろいろな方向から思考することができるからだ。
もっとも、慣れてくると、ほぼ最短コースのプログラムを作れるようになってくるようだ。
当時は、苦手だとか言い訳しても、それで大学が合格できるわけではない。
何の意味もないからだ。
だから、「嫌だ」とかいう意識は、「持たなかった」というよりも「無かった」。
持っても仕方がないことなので、迷うことすらなかったのでしょうね。
問題は、大学受験、それのみでした。
中学時代は、中の上だった私なので、あまり良い勉強法は知りませんでした。
ただ、高校時代となるとそうはいかない。
とにかく、総合点を上げるには、苦手科目の点数を上げるのが手っ取り早い。
このように思った訳です。
読解力のない私なので、当然、現代国語、古文と英語
それに地理。
なんで一番苦手な地理を選んだのかは不思議です。
記憶力勝負で、世界史か日本史を選べば良かったのにと、今でも後悔していますよ。
【現代国語】
現代国語なんて、読書しか勉強方法はないと思いましたが、そんな時間はもったいない。
なので、すごくに諦めました。
ただ、辞書をめくるのだけは、得意で、3回めくれば、探す単語が出てきた。
【古文】
これは、ある程度記憶すればいいと思い、本屋でできるだけ簡単な、「徒然草」あと面白そうな「更級日記」を読む。
が「徒然草」はともかく「更科日記」は分かり難い。
古文の単語はある程度記憶しても、やはり読解力がないと辛い。
まあ、ある程度点数で良いと思った。
【英語】
英語は、兎に角、「英単語」を覚えないと話にならない。
学生服のポケットに、「豆単」なるものを忍ばせて、朝トイレ、昼は休み時間、夜は、帰宅してすぐ
都合3回、同じ部分を記憶する。
覚えるのは、一日10頁。
これを毎日する。
この「豆単」なるもの300頁で8000語あったので、毎日、繰り返して、中間の150頁まで行ったら、そこから、また再スタート。
ただし、a~kまでも忘れないように、日曜日がそこを復習する時間。
ということで、覚えるのに半年かかりました。
一旦覚えると、後は忘れないようにするだけなので、それまでより費やす時間は少なくて済む。
それでも、読解力がないから、なかなか難しい。
偶に、知っている本が出てくればしめたものという程度でした。
次に苦手な【地理】」
これは、食後風呂に入ってから、最初にするもの。
概ね2時間と決めてました。
ただし、これも毎日ね。
次は、【化学】
これは、ある程度記憶力がいるなぁと思い、教科書はほとんど無視して、参考書を解く。
解けるまでやって、これを2往復しました。
全て解けたので、これにて一件落着
次の物理と同じで、先生が当てにならないので、ほとんど独学
>続く
勉強に対しての意識の持ち方で意欲も効率も全然違ってくるのですが、なかなかどうして・・・
勉強というモノを認識した時のファーストインプレッション次第で大きくその後の人生に影響しますね
親がどう子に導くか・・・これはかなり大事なことだと思います
一度身に付いた認識や意識を変えるのはなかなか人間難しいです、苦手であるとなってしまったのはどうしょうもないのでそこからどう意識改革が出来るか?これも親の責務ではないかな~と思うサクヤです