Nicotto Town


今年は感想を書く訓練なのだ


『泥の河』(1981)

◆概要
ある時対岸に船上生活者の小舟が引かれてきた。
その船にはは母と姉弟が暮らし、ひょんな事から弟のきっちゃんと仲良くなり物語が始まる。
母は夜な夜な客を引き、二人の子供を養っている。
信雄が家族ぐるみで親切にしてくれているのを聞き、顔を観たいと招き入れる場面。
扇でなくても団扇で口元を隠す仕草には、下町にふさわしくない気品が、煽られて漂って来るのが観えた。

信雄の父が、元妻の病気見舞いに出かける話を聞いた後、
信雄の母が近所のおばあちゃんへ悩みを打ち明ける場面
ばあちゃん「死ぬゆうのんは、ひと恋しいもんやね……」
母「私は、絶対に会いに行かない」
このエピソードの結末はご自身で確認してください。
この後お祭りに行く約束をしたところから、物語が転じて行く。

◆感想(ネタばれあり)
この映画は、描かれるべき会話や語りに空白が多く、くみ取るためにかなりの労力が求められる。
見る人を選ぶと言った方が判りやすいと思う。
現在の映画と比べると、たちまちそっぽを向かれる意味不明なものと烙印を押される可能性大だ。

祭りの夜小銭を落としてしまい、憔悴する信雄を慰めようと小舟に招き入れた時事件が起きた。
きっちゃんの母親の情事(仕事)を垣間見た時、目を合わせてしまったのだ。
翌朝きっちゃんの船は、小舟に引かれて去ってゆくのが見える。
母は尋ねた
「信雄、喧嘩でもしたんか?」
「喧嘩したんやない」
「ほな、なんで黙って行ってまうのやろな……」
父は黙って信雄を見つめる、一瞬目を合わせるがまた横を向く信雄。

ここで鑑賞する側の推察が試されている。
恥をかくつもりで、私の受け取った心情を語ろう。
父「お前は見てしまったんやな?」
信雄「せや、おばちゃん悲しそうやった」
父「そうか、そうやって大人になってゆくんや」

このあと意を決した信雄。
「きっちゃん」
何所までも去り行く小舟を追いかけるシーンが続く。
レンガ作りでアーチ形の却下をくぐり、船が消えて行く。
カメラは淀んだ川面に移り、水底の泥から湧き上がるガスがぷかりぷかり……

泥沼から這い上がろうと足掻く、終戦後のまだまだ貧しい人々のドラマなのであろう。

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2018/01/18 20:56
スイーツマン様こんばんわ
さらなるコメントありがとうございます。

>漫画やネットでものを考える
思うに、同じエネルギーを使った場合昭和より平成の時代の方が入ってくる情報量は多いですよね。
まあ! 質の問題を考えるにあたり、全体的に+-するとむしろマイナスなのかもしれませんが。
選ぶ力さえしっかりしていれば、相当な知識が得られるのではなかろうか。
それでは
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2018/01/18 05:50
テレビとかネットがない時代は娯楽が限られていました。数少ない娯楽の一つが小説で、いまの中高生が漫画やネットでものを考えるように、当時の中高生・大学生・社会人は小説が娯楽であり、教養を深めたのです。
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2018/01/17 21:28
スイーツマン様こんばんわ
コメントありがとうございます。

>先生は釣りオタ
そうなのですか、この先生の作品と言えば
岩穴から出られなくなった山椒魚の話しか思い浮かびません。
釣りオタとは関係ないけど。

昭和の時代までは、相当の教養がないと小説などは理解できない世界だったのでしょうか?
そんな気がしてなりません。ま! 私が本読まなすぎなだけだとは思うのですが。
それでは
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2018/01/17 18:22
『泥の河』というと井伏鱒二先生だったか
先生は釣りオタで全国のポイントを回っていました
新潟県の咲花駅付近に柳水園という温泉旅館がありSLが停まります
先生はそこの桜の間に宿泊なさったのだとか
私も何回か泊まりましたよ




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